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福岡地方裁判所 昭和35年(ワ)1135号 判決 1975年3月29日

原告 三重野正明

<ほか一〇名>

右訴訟代理人弁護士 岸星一

同 諫山博

同 谷川宮太郎

同 木梨芳繁

福岡市中央区天神二丁目一一番一号

被告 株式会社岩田屋

右代表者代表取締役 中牟田喜一郎

右訴訟代理人弁護士 松崎正躬

同 村田利雄

同 和智龍一

同 神山欣治

右当事者間の雇傭契約存続確認等請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告三重野栄子、同芳井伸明、同熊谷高信、同牛尾洋一が被告に対し、労働契約上の権利を有することを確認する。

被告は別表第一債権目録記載の原告らに対し、同目録中それぞれ原告名下の未受領額欄記載の金員、およびその金員のうち同第二未払賃金表の各年度別の未受領額欄記載の金員につき、当該年度における二月二六日以降(ただし、第一項記載の原告らの昭和四八年度未受領額欄記載の金員については、同年一一月二六日以降)各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告八柄豊、同八柄明美、同鐘ヶ江ミヨ子、同進藤恒雄、同江島桂子の請求および原告三重野正明、同今泉英昭のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告三重野栄子、同芳井伸明、同熊谷高信、同牛尾洋一と被告との間に生じた分は被告の、原告三重野正明、同今泉英昭との間に生じた分はこれを三分し、その二を同原告らの、その余を被告の、原告八柄豊、同八柄明美、同鐘ヶ江ミヨ子、同進藤恒雄、同江島桂子と被告との間に生じた分は同原告らの各負担とする。

この判決は、第二項に限り、原告三重野正明は金五〇万円、原告三重野栄子は金一〇〇万円の各担保を供して、また原告芳井伸明、同熊谷高信、同牛尾洋一、同今泉英昭は担保を供しないで、それぞれ仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  別紙第一当事者目録記載の原告らが被告に対し、労働契約上の権利を有することを確認する。

2  被告が昭和三三年一〇月四日付で別紙第二当事者目録記載の原告らに対してなした懲戒休職が無効であることを確認する。

3  被告は別紙第一および第二の各当事者目録記載の原告らに対し、それぞれ別表第三債権目録各原告氏名に対応する未受領額欄記載の各金員、並びに別紙第一当事者目録記載の原告らに対しては、別表第四の一ないし六の各人別未払賃金表の各年度別の未受領額欄記載の金員につき、当該年度における二月二六日(ただし昭和四八年度分の未受領額については同年一一月二六日)以降完済まで、別紙第二当事者目録記載の原告らに対しては、それぞれ別表第三債権目録各原告氏名に対応する各未受領額欄記載の金員に対し昭和三三年一一月二六日以降完済までそれぞれ年五分の割合による金員を附加して支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに第三項につき仮執行の宣言。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

≪以下事実省略≫

理由

(書証の形式的証拠力について)≪省略≫

第一  昭和三三年一〇月四日付の懲戒処分について

一  当事者間に争いのない事実等

1  当事者の地位および懲戒処分の意思表示

被告会社が昭和一〇年五月一四日に設立され、当時授権資本九六〇万株、資本の額一億二、〇〇〇万円、従業員約一、四〇〇名を擁し、福岡市天神町において、物品販売ならびに之に付帯する業務を営む百貨店であり、原告らはいずれもその従業員であって(原告熊谷、同牛尾、同今泉、同進藤、同江島は当時いずれも臨時職員(現在は本職員)、その余の原告らは本職員)、被告会社の従業員をもって組織する全岩労の組合員であり、昭和三三年七、八月当時原告三重野正明は中央執行委員長、訴外井手哲朗は中央執行副委員長、原告三重野栄子は事務局長、その余の原告らは中央執行委員であったこと、組合は夏季手当配分及び繁忙手当要求等の貫徹を目的として、昭和三三年八月二日より同月七日まで二四時間ストライキを行い、後述闘争委員会が結成されるや、原告三重野正明は闘争委員長、訴外井手は闘争副委員長、原告三重野栄子は闘争事務局長、その余の原告ら(他に訴外平田秀則、松島昭五郎)は闘争委員となったこと、および、会社が、前記組合のスト期間中の原告らの行為をとりあげ、昭和三三年一〇月四日付をもって、当事者目録(一)記載の原告らおよび訴外井手、平田の八名に対し、それぞれ請求原因3の(二)の(1)ないし(3)記載のとおりの理由に基づき懲戒解雇に処する旨、同目録(二)記載の原告らおよび訴外松島の六名に対し、それぞれ請求原因3の(二)の(4)記載のとおりの理由に基づき、一五日間の休職処分に付する旨の意思表示をなしたことは当事者間に争いがない。

また乙第一〇号証(就業規則)によれば、被告が右懲戒処分の根拠とした就業規則の規定は次のとおり定められていることが認められる。

第八一条 左の各号の一に該当するときは減給とする。

但し情状によって譴責に止めることがある。

六号 故意又は重大な過失によって会社に損害を与えたとき

一二号 其の他前各号に準ずる行為のあったとき

第八二条 左の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。但し情状によっては休職、減給に止めることがある。

二号 他人に対し暴行脅迫を与え又はその業務を妨害したとき

九号 前条各号に該当しその情状重いとき

2  争議に至る経過

被告会社と組合間には、昭和三三年五月五日に同年三月以降翌三四年二月に至る年度の賞与について、本職員一・八五ヶ月分(中元〇・七五ヶ月分、年末一・一ヶ月分)、臨時職員三七日分(中元一五日分、年末二二日分)とする旨の協定が成立したが、その配分方法についてはいまだ交渉が残されていたものであるところ、その夏季手当(すなわち右の中元賞与)について、全岩労は昭和三三年七月一〇日被告会社に対し(イ)夏季手当、本職員各人の基準内賃金の〇・七五ヶ月分、臨時職員各人の日給額の一五日分、何れも成績考課配分、不就業控除をしないこと。(ロ)中元繁忙時手当、一人一律一、〇〇〇円。(ハ)支給日八月一日の要求を提出した。

被告会社は組合の要求に対し、(イ)夏季手当は全従業員について本職員は月例給与の〇・七五ヶ月分、臨時職員は日給額の一五日の源資をそれぞれ一括確保し、(ロ)その配分は本職員について一律〇・六七五ヶ月に成績考課〇・〇七五ヶ月分を加算し、臨時職員についても一律分に成績考課分を加算し、その成績考課を五段階とする、(ハ)不就業控除は行なう。(ニ)中元繁忙時手当は現在の会社の業績からみて到底応じられないとしてこれを拒否した。

そこで、そのことについて同月一三日、一六日に団体交渉が行われたがまとまらず、同月二〇日会社は右の配分を本職員について一律〇・七ヶ月分、成績考課〇・〇五ヶ月に、考課に基づく配分の階段は三段階にする旨回答した。

しかし、被告会社には従業員組合として、全岩労のほかに岩百労(昭和三二年六月二四日全岩労が結成され、同月二五日全岩労の多数組合員が分裂して岩田屋従業員組合を結成、同年一〇月岩百労と改称した。)があるところから、組合と会社との間に意見が対立し、同月二〇日、二六日に行なわれた団体交渉も難行した。この間、七月二四日組合は闘争委員会を設置し、同月二六日全組合員の無記名投票(賛成三一四票反対三八票の絶対多数)によりスト権の確立を行って闘争態勢を整え、七月二七日被告会社に対し、八月二日午前八時までに解決しないときは、同日以降二四時間ストに突入する旨通告し、七月三〇日、ついで八月一日から団体交渉が行われたが、翌二日午前三時交渉は決裂し、同日午前八時より一三日まで連続二四時間ストに突入する旨を通告してストに突入し、八月七日地方労働委員会からの勧告により組合はストを中止して被告会社と交渉を行ない、八月一六日争議は妥結終結した。

以上の事実は当事者間に争いないか、あるいは当事者の明らかに争わないところである。

二  本件争議目的の違法性の有無

1  被告会社は、本件争議は、被告会社と全岩労との間に昭和三三年五月五日付で締結された昭和三三年度年間協定に定められた事項に反する要求を貫徹するためになされたものであり、平和義務に違反するものであるから、その目的においてすでに違法である旨主張するので、先ずこの点について判断する。

(一)(1) 被告会社の主張の骨子は、まず昭和三三年五月五日被告会社と全岩労との間に締結された年間協定において、同年度の年間賞与は本職員一・八五ヶ月分(中元〇・七五ヶ月分、年末一・一ヶ月分)、臨時職員三七日分(中元一五日分、年末二二日分)と定められ、その配分方法については後日の交渉に委ねられたものの、右協定の趣旨は、右年間賞与の源資は従業員全員について一括して定め、右源資を各人の考課に基づいてそれぞれ配分する趣旨であり、したがって配分の交渉についてもこれらを前提とし、一律支給部分の割合と考課配分の方法についての交渉のみが残されていたに過ぎず、夏季手当を考課なしに一律〇・七五か月分支給せよとの要求は、右年間協定に違反する不当な要求であるというものである。

ところで、右協定について作成された書面(乙第一号証の協定書)にはかかる趣旨であることの明確な記載はなく、またその趣旨を窺わせるに足りる記載もない。

また、乙第一五八号証の二(秦俊則の証人調書)中には、昭和三三年度の年間協定交渉に際し、全岩労が同年五月三日付で被告会社に発した通知書(乙第一〇二号証)中に「昭和三三年四月二七日付全岩労第一六一号に関する標記の件は昭和三三年四月二二日付人労第一三〇号及び昭和三三年四月二五日付人労第一三四号に関する賃金について承認し、他の要求については後日交渉のため保留する」と記載されている趣旨は、さきに全岩労は、全岩労第一六一号(乙第一〇一号証)をもって、被告会社に対し、賞与の一律支給のほか諸要求を提出したが、考課配分は被告会社の基本的方針であり、一律支給の考えはないとの被告会社の態度に出合い、遂に賃金、賞与とも従来どおり考課に基づき配分するという被告会社の提案を承認する態度を表明したもので、年間協定はかかる前提のうえに締結されたものである旨の供述記載が存するけれども、右承認の対象となった人労一三〇号(乙第一一〇号)、人労第一三四号(乙第一一一号)中には成績考課を前提とする昇給についての提案はあるが、賞与については年間支給額のみが記載されているところ、これらの記載と上掲乙第一〇二号証の記載とを対比して考えると、全岩労が、成績考課による賞与の配分までも、乙第一〇二号によって承認したとは考えられず、かえって、≪証拠省略≫を併せ考えれば、全岩労は、右乙第一〇二号証をもって賃金およびその支給方法、年間賞与の総枠については、被告会社の提案を受諾したものの、賞与の配分については一切後日の交渉に委ねたものであることが窺われるのであって、上記乙第一五八号証の二の記載部分はただちに信用できない。

つぎに、上記乙第一五八号証の二の中には、前記年間協定を締結するにあたり、全岩労は被告会社との交渉過程において、岩百労と同一の線で妥結する意思を表明しているところ、岩百労は、賞与の成績考課による配分を当然の前提として年間協定の交渉を行ない、これを締結し、また賞与の配分交渉を行なっているのであるから、全岩労も、考課配分を当然の前提として協定を締結したものである旨の供述記載があり、協定締結後である昭和三三年五月八日付の全岩労ニュース中にも「五月一日の盛り上りをよそに岩百労と同じ線でしか妥結し得なかった今次春斗」云々の記載も存するところではあるが、≪証拠省略≫によれば、前記のとおり、全岩労は乙第一〇二号証の通知書において、会社提案のうち賃金についてはこれを承認し、その他の要求については後日の交渉のため保留する旨の意思を表明しているところ、岩百労と同じ線でしか妥結し得なかったというのは、全岩労が前記年間協定締結交渉においてなした賃金の配分その他の諸要求のうち、賃金については、結局被告会社の提案どおりの線でしか妥結できなかったこと、賞与の一律配分その他の諸要求については、会社が要求を一切うけ入れないため、後日の交渉に委ねざるを得なかったことを意味するに過ぎないことが窺われるから、たとえ交渉の過程で岩百労と同一の線で妥結する意思が表明されたとしても、そのことからただちに全岩労が成績考課による賞与の配分という会社側の意思を受け入れ、それを前提として本件年間協定を締結したものとは認めがたい。

さらに、≪証拠省略≫中には、昭和三二年暮における全岩労と被告会社との年末手当配分交渉をめぐって、全岩労が、同年度の年間協定書(甲第二〇号証)は全岩労の前身である岩田屋労働組合と締結されたものであるから、その後組合の分裂という事態が発生したとしても、賞与の源資は組合別に分割して、協定のとおり全岩労の組合員のみを対象として平均一・二か月分を支給するよう主張したのに対し、被告会社は賞与の配分は成績考課によることが前提となっている以上、源資を組合別に分け、組合ごとに平均一・二か月を支給することは不可能である旨主張し、全岩労も源資は組合ごとに分割しないことおよび賞与の配分は成績考課によることを了承したので、将来にわたる紛議を避けるため、その趣旨の確認書(乙第一六八号証)を全岩労から会社に入れさせたものであるから、昭和三三年度の年間協定書も上記の確認書に基づき、当然、賞与の源資は組合別でないこと、および成績考課による配分を前提として締結されたものである旨の証言ないし供述記載部分があるが、前掲乙第一六八号証の文言に徴すると、これは、昭和三二年末賞与の支給に関する確認であって、将来にわたって前記主張のような確認がなされたことを窺わせる記載はなく、このことと≪証拠省略≫中に「前記のとおり、既に岩労との間に年間協定書が締結されているところ、その後全岩労が分裂して岩百労が結成されたが、そうすると成績考課により賞与の配分をなすとした場合、考課の仕方によっては、全岩労の組合員に対し必ずしも年間協定で約定した平均賞与額が支給されない場合が生ずるところから、かかる場合においても、今回は協定違反の主張をしないという趣旨で前掲確認書が差し入れられた」旨の供述があることに照らせば、≪証拠省略≫の記載はにわかに措置しがたい。

(2) さらにまた、会社は、昭和二九年度以降本件配分交渉にいたるまで、各年間協定が締結された経緯や、その配分交渉の経緯ならびに結果に徴すれば、賞与は各人の成績考課に基づいて配分するという慣行がすでに確立しており、本件年間協定は成績考課による配分を労使ともども当然の前提として締結されたものである旨主張する。

そして労働契約締結に際し、当事者間に明示の合意がない事項についても、それが企業社会一般において、あるいは当該企業において慣行として行なわれている事項である場合には、黙示の合意によりそれが契約の内容となっていることが認められる場合のあることはいうまでもないところ、労働協約には、その締結につき書面の作成が要求されるからといって、直ちにかかる慣行が労働協約の内容となり得ないものとは言いえない。しかしながら、右にいう慣行とは、当該慣行が企業社会一般において、労働関係を律する規範的な事実として明確に承認され、あるいは、当該企業において、企業員が一般に当然のこととして異議をとどめず、当該企業内において、それが事実上の制度として確立しているものであることを要する。

そして、≪証拠省略≫を総合すれば、昭和二九年から同三二年まで被告会社と分裂前の岩田屋労働組合との間において締結された賃金等に関する年間協定書(労働協約)においては、昭和三一年度において協定書自体で配分方法が定められたことがあるほか、中元、年末賞与について支給総枠のみが「年間賞与は月例給与の○○か月分を支給する」旨定められ、その配分は後日における労使間の交渉に委ねられていたこと、右賞与の配分交渉の結果は、いずれの年度においても一律支給部分の割合が年を追って増加する傾向にあったというものの、常に従業員の成績考課に基づいて配分される部分のあったこと、配分交渉において被告会社は一貫して成績考課による配分を被告会社の基本的方針である旨主張し続け、考課配分の撤回につき組合側に対し譲歩する態度を示したことはなく、組合も成績考課による配分を配分交渉の前提として、一律支給部分の拡大、考課段階の縮少に交渉の主力を注いでいたこと、昭和三三年度中元賞与の配分交渉にあたっても、岩百労は成績考課を前提とし一律支給部分の拡大、考課段階の縮少をめぐって交渉をしていること、本件争議後である昭和三三年度の年末賞与の配分交渉においては、全岩労においても成績考課がなされることを前提とした配分要求をしていること、昭和三三年度年間協定締結をめぐる被告会社と全岩労の交渉にあたり、当初全岩労は、賞与の一律配分を要求して被告会社と交渉を続けてきたが、会社が成績考課に基づく配分は譲歩できない基本方針であるとして従来の方針を固持したため、協定締結に際しては、その要求を撤回し、後日の交渉に委ねることとし、年間協定においては、結局年間賞与の総枠のみが定められたことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

しかし、前記認定の事実からただちに当時被告会社と組合との間において、賞与は従業員各人の成績考課に基づいて配分するという慣行が確立していたと解するのは相当でない。

なんとなれば、団体交渉の成果は、基本的には労使間の、そのときどきの力関係に依存するものであることは自明の理であり、会社側が成績考課による配分を譲歩し得ない方針であるとして交渉に臨んだ場合において、労働組合が彼此の力関係を勘案し、一律配分の要求をなさず、当初から成績考課による配分を前提として交渉にあたることは十分考えられるところであるから、結果として、成績考課によって賞与の配分がなされる状態が数年間続いたからといって、それは主として労使間のそのときどきの力関係を反映したものに過ぎず、労働組合が今後の交渉にあたって、成績評価による配分をなすかどうかについては、交渉の対象となさず、その当然の前提とすることを明示ないしは黙示のうちに承認した結果であるとは考えがたいし、またかかる事実のつみ重ねのみによって、新たにかかる慣行が確立したというように解することもできない。その他、従前の配分交渉の結果は、労使間に当初から成績考課による賞与の配分という慣行があったためである等成績考課による賞与の配分という慣行が確立していたことを認めしめるに足りる証拠はない(以上の見地からすれば、岩百労が前記のごとく成績考課を前提とした配分要求をなしていること、および昭和三三年度年末賞与をめぐる全岩労の交渉態度なども前記慣行の存在を認めさせるには足りないこと明らかであり、また年間協定締結に当っては、後で撤回はしているものの、前記認定のとおり、昭和三三年度賞与につき全岩労が一律配分を要求したのに対し、被告会社が、成績考課による配分は、被告会社の基本方針であるとして、従来の方針を貫こうとしたため、全岩労も右要求は後日の配分交渉に委ねることとして、年間協定締結の段階においては、一旦かかる要求を撤回して前記協定を締結し、その後前記認定のとおり、中元賞与(夏季手当)の一律配分等を要求して会社と数次にわたる団体交渉を行なったが、合意に至らず、本件争議に突入したことが認められるところ、被告会社と全岩労の交渉の過程において会社側から一度として「全岩労のかかる一律配分の要求は、従来の慣行に反するものである」旨の主張がなされたことを窺わせるに足りる証拠がないところから考えても、かかる慣行が従来確立していたものとは到底認められない。)。

以上のとおり、賞与の成績評価による配分が慣行として確立していた旨の被告の主張は採用できない。

(二) 被告は、また本件年間協定は、全岩労、岩百労を通じ、全従業員に対する総源資額を定めたものであり、全岩労のみに対する源資額を定めたものでないから、全岩労が組合別に中元賞与〇・七五か月分を要求することは、総源資額を超える要求であり、年間協定に違反する旨主張し、なるほど被告主張のごとく成績考課に基づいて賞与が配分されるという前提に立つならば、全岩労、岩百労各所属の従業員にとくに職種、職場を異にするというような事情の認められない本件においては、成績考課の性質上、両組合に属する従業員を通じ同一基準で行なわれるべきものであり、かつ、各評価段階における人員分布は両組合において必ずしも一致するとは限らない以上、成績考課部分の比率を組合別に平均した場合、両組合が同一比率とならないことは当然であり、かえって組合別にそれぞれ〇・七五か月分の源資を充当すれば、同一の基準によって成績を評定されながら、組合所属のいかんによって、同じ成績にもかかわらず、その支給金額に差ができるという事態が生ずるから(両組合が併立し、かつ別々に労働協約を締結している以上、かかる事態は必ずしも起りえないことではないとしても)、被告会社の立場としては、組合別に〇・七五か月分を要求する全岩労の要求を好ましいことではなく、むしろ不合理なものとしてうけ入れられない心情は理解できないことではない。

また、≪証拠省略≫によれば、被告会社は岩百労との間で、七月二三日、本職員につき総額を岩百労、全岩労の両組合員を通じ、月例給与の〇・七五か月分、その配分は一律部分〇・七か月分、成績考課〇・〇五か月分、成績考課の段階は三段階とするなどを内容とする中元賞与配分協定を締結したことが認められるところ、右協定に従って、岩百労に所属する従業員に対し中元賞与を配分した結果、その平均の配分率が〇・七五か月分を上回った場合には、配分総額が岩百労、全岩労の両組合員を通じ〇・七五か月分となるためには、当然全岩労所属の組合員に対する平均の配分率は〇・七五か月分を下回っていなければならず、したがって一たび岩百労と会社との間でかかる協定が成立したのちに、全岩労が岩百労とは別に〇・七五か月分平均の要求を提出すれば、両組合を通じた平均の支給額が〇・七五か月を超える要求となり得ることは計数上明らかである。しかしながら、前記認定のとおり、源資を各人の考課に基づいて配分することを前提としての配分方法の交渉のみが残されていたに過ぎないという被告主張を肯認しうるに足る証拠のない本件の場合においては、全岩労が一律〇・七五か月分を要求することは、その配分の方法に関することといえるのであって、そのことは右協定の源資が従業員の全員について一括して定められたものであるか、あるいは全岩労の組合員について定められたものであるかによって、その結論を異にしうべきものではない。被告の主張する上述の不合理は、いずれも源資を各人の考課に基づいて配分することを前提として初めて生ずるべく、かかる前提を欠く本件にあっては、理由がない。なお被告会社が全岩労の要求を容れ、その所属の組合員に対しては一律〇・七五か月分の支給をし、岩百労所属の組合員に対しては前記協定に従い考課による配分をなした場合、総支給額が〇・七五か月分を上回ることはあり得るし、たとえ考課による配分であっても、考課の段階、各段階の人員の比率を岩百労と異にすれば、前記の総支給額が〇・七五か月分を上回ることが生じ得るが、全岩労が岩百労と会社との協定に拘束されるいわれは全くなく、またかりに〇・七五か月分という源資が従業員について一括して定められた趣旨であったにせよ、右は一方の組合が、先に他の組合が被告会社との間で締結した配分協定に拘束される趣旨までをも含む趣旨とは解し得ないから、全岩労の一律支給の要求が、結果的に総源資を超える要求になったからといって、このことは二組合併立の状態から帰結する結果にすぎず、当然に全岩労の要求を不当視することは許されない。

しかも、同一企業内に労働組合が二個存在するという事態において、考課表による賞与の配分が行なわれる場合、組合が配分に際して差別待遇の行われるおそれありとして、考課表による配分の撤回を要求することは、組合としてはまことに無理からぬものがあったことは、以下に述べるように、現に、≪証拠省略≫によると、七月三一日団体交渉の経過で岩百労にはすでに夏季手当は支給され、岩百労に支給した配分方法によれば、全岩労に対する賞与の総枠は〇・七三二か月分であることが示されたことが認められること、および≪証拠省略≫によれば、本件中元賞与の配分交渉にあたり、会社は第一次回答として一律支給部分〇・六七五か月分、成績考課〇・〇七五か月分五段階の配分案を示したが、その後岩百労の要求を容れ一律支給部分〇・七か月分、成績考課〇・〇五か月分三段階の配分という修正回答をなした(岩百労は七月二三日この回答を受諾した)ことが認められ、これによれば、いちおうその支給額の平準化が図られたものといえなくはないが、右の配分方法の変更は≪証拠省略≫によれば、従来のABCDEの五ランク(それぞれの支給率はA=〇・八二五か月分、B=〇・七八七五か月分、C=〇・七五か月分、D=〇・七一二五か月分、E=〇・六七五か月分)のうち、Bランクを新たにABC(それぞれの支給率はA=〇・八か月分、B=〇・七五か月分、C=〇・七か月分)のAおよびBに、DをBおよびCにそれぞれ振り分けてなされるものであり、しかも、振り分けの基準は明らかにされておらず、したがって、最低の支給率となり、支給額も減少するものがかえって増加するおそれがあったと認められることからも首肯され、全岩労の被告会社に対する前記要求は組合員の経済的地位の向上を目的としたものとして正当である。

(三) 次に、被告は全岩労が繁忙時手当の支給を要求したのは年間協定に反するものである旨主張する。

しかし、≪証拠省略≫によれば、被告会社において従来年間協定にかかわりなく、とそ料、特別手当、交通費手当、大入袋等の名目で臨時に手当が支払われ、又は増額されたことのあること、またすでに昭和二七年度末および昭和二九年度末に、組合の要求により、夏期および年末手当のほか期末手当が支給された実績のあること、賃金について年間協定方式が採用された昭和二九年度以降においても、昭和三五年から昭和四四年度まで、年間協定をこえて期末手当の支給された実績のあることが認められるが、とそ料等の支給は一部の者に限られるか、ごく少額のものであり、また期末手当は、被告会社が当初の予想を超えて利益を上げたときにのみ組合の支給要求に応じていたことなど、繁忙時手当とは性格を多少異にする点があるにせよ、全岩労のかかる要求が必ずしも年間協定締結の趣旨に反するものでないことは、本件中元賞与の配分交渉の過程において、会社側は、乙第五号証(回答書)によって明らかなように、会社業績からみて応じられないと回答したのみで、かかる要求が年間協定に反するものである旨の主張がなされたことを窺わせる証拠がないことからも肯認できるのみならず、≪証拠省略≫によって認められる交渉の経緯によれば、上記交渉においても中心的な対立点は成績考課であり、全岩労は繁忙時手当の要求に必ずしも固執しておらず、その要求は中元賞与の一律支給に対し副次的なものであったものと認められるから、いずれにせよ、右要求をもって年間協定に違反するものということはできない。≪証拠判断省略≫

以上のとおり、本件争議は、年間協定違反すなわち平和義務に違反するものであるとの被告の主張は理由がない。

2  次に、被告会社は本件争議行為の真の目的は、全岩労の組織挽回にあったから不当である旨主張する。

なるほど、≪証拠省略≫によれば、昭和三二年六月の岩百労結成以来、全岩労は組合員が脱退して岩百労に走る者が相次ぎ、本件争議突入直前には岩百労の組合員数はおよそ一、〇〇〇人前後、全岩労の組合員数は三五〇人前後と勢力が逆転しており、したがって全岩労としては、これ以上組合員が脱落していくのを喰い止め、自らの組織を維持、強化するためには、もし組合の要求が容れられなければ、百貨店である被告会社の繁忙時である中元時を狙って争議行為を行ない、被告会社に打撃を与えるという強い姿勢を示し、中元賞与の配分等につき岩百労よりも有利な条件で交渉を妥結し、全岩労の組織力の強さを内外に示し、岩百労の組合員に対しアッピールすることが是非とも必要であると考えていたこと、しかしながら、すでに岩百労と全岩労という二つの労働組合が併立し、しかも、全岩労が少数組合になったという現状において、中元賞与の配分等につき、岩百労以上の有利な条件を団体交渉ないしは争議行為の結果獲得できる見通しは必ずしも明るいものではないが、その結果として要求が全く通らないということであっても、要求貫徹のための行動を起こすべきだとの考えのもとに、本件争議に突入したことが窺われる。しかして、労働組合がより有利な労働条件を獲得できるかどうかの条件として、団結力の強弱が大きな要素を占めることは周知の事実であるから、労働組合がその強化をはかるのは当然のことであり、労働組合が使用者に対して経済的諸要求を貫徹するための闘争を行ない、そのことによって同時に団結の維持、強化を図ったとしても、これを不当視するいわれはないし、また右諸要求を獲得できるかどうかは、その時々における種々の条件にかかるものであり、少数組合であるから多数組合よりも有利な条件を獲得できないという訳のものではなく、その意味で要求を貫徹できるかどうかはいわば結果論にすぎないといえる。したがって、労働組合が要求貫徹の主観的、客観的見通しもないまま労働争議にはいり、要求が貫徹できなかったからといって、労働組合内部で幹部の責任が追及なされることはともかく、対使用者との関係においても当該争議が直ちに不当となる訳のものではない。それ故、前記の事実が認められるからといって、そのことからただちに本件争議行為の真の目的が全岩労の組織挽回のみにあったということはできないし、また、労働組合が労働条件の向上をめざす闘争において、何が労働者にとって有利であると考えるかは一概に決しがたく、労働組合の自主的判断に委ねられているわけであるから、全岩労が本件争議によって得べき経済的利益とストライキによる賃金カット等によって被る不利益とを単純に比較して、後者の方が金額的に多いというだけで、ただちにその争議行為は不当なものであり、争議の真の意図は、経済的要求にはなかったとの結論を導き出すことはできないものというべきである。その他本件争議行為の主要な意図が組織挽回のみにあったことを認めしめるに足りる証拠はない。

以上のとおり、本件争議行為がすでにその目的において違法である旨の被告主張は採用できない。

三  本件争議行為の状況について

被告は、組合は八月二日より七日に至る間本件ストライキの実効をあげるためその手段としてさまざまの違法争議行為を行なって、会社の業務を妨害し、多大の損害を加えるとともに、その信用を著しく毀損したので、原告らを前記就業規則に従い懲戒処分に処した旨主張し、原告は争議行為において組合がなした行為はいずれも正当なものであり、したがって、本件懲戒処分は就業就則の適用を誤ったものである旨主張するので、果たして原告らに被告主張のような違法行為があったかどうかについて検討する。

1  争議の基本方針の決定、争議組織体制の確立

≪証拠省略≫を総合すれば、次のとおりの事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

昭和三三年七月二四日闘争委員会が設置せられ、同月二六日スト権が確立せられるや、組合は同月二八日の闘争委員会(闘争委員中高松委員および熊谷委員欠席)に豊瀬禎一(県総評事務局長)、羽野透(全逓福岡地区本部執行委員)、鈴木義一(通称草野薫、県総評常任幹事)等、福岡県総評、全逓、福教組、自治労、全百連西地連及び九炭労等の友誼団体幹部の出席を求め、交渉経過を報告し、これに対する意見を求めるとともに交渉が決裂して争議行為を行う際の協力を要請した。友誼団体は組合に対する本件争議の支援を約し、右闘争委員会において、友誼団体を加えて更に団体交渉を継続することが決定されたほか、争議行為の実施にいたった場合の方針対策等が討議決定された。すなわち、争議行為としてはストライキを行い、ストライキの実効をあげるためピケッティングをはる。ピケの具体的方法としては岩百労組合員、問屋関係の就労者を対象とせず、本館各出入口に出入口をあけて、入口の幅に縦のピケをはり、顧客の通行を物理的に阻止したり邪魔をしたりせず、専ら顧客に対する呼びかけによって協力を求める。そのため客の通路として最低二人通れる幅をあける。客に対する呼びかけは簡単な言葉で統一する、との方針が決定され(もっとも、各友誼団体からは、全岩労から提案のあった右のごときピケッティングの方法に対して、顧客を店内に入れ、被告会社が営業を継続できるような形態でピケッティングをすることは、ストライキをしないのも同然で、争議戦術としては拙劣きわまるので、ピケッティングをするなら第二組合員および顧客が入居できないような強力なものにするべきだとの強い反対の意思が表明されたが、原告三重野正明ら全岩労側は、岩百労に対する就労阻止のピケッティングは、昭和三二年春の長期ストによる経験から推して、被告会社および第二組合員との間に摩擦が生ずる可能性が大きいことから顧客に対するストライキ協力呼びかけのピケッティングにとどめるべきであるが、顧客が多数店内に出入りするという百貨店営業の特殊性およびかかる業態における従来のストライキの経験に照らして、顧客や被告百貨店との紛争や混乱を避けるためには、顧客の入店を物理的に阻止しないよう縦のピケを張り、専ら入店客に対する説得活動によってストライキに対する協力を求め、顧客の協力によって被告会社に対する打撃を与え、ストライキの実効を期すべきであるとの強い意向を示したため、結局、争議行為の当事者である全岩労の意向を尊重して、上述のとおり争議の基本方針が決定されたものである。)、ピケの動員予定数は、全岩労組合員中動員可能の者三〇〇名とし、友誼団体は所属組合員二〇〇名をピケに動員するとの対策をたてた。なお、全岩労組合員に対しては、八月一日に翌二日午前八時までに要求が認められない場合には、同日、午前八時から一三日まで二四時間ストライキに突入するので、毎日午前九時四〇分までにNHK前に集合するよう予め指令が発せられた。

八月二日午前三時交渉が決裂するや、直ちに闘争委員会を開き、七月二八日の計画に従ってストライキを実施することを決定し、ピケの具体的方法につき二八日の決定を確認したほか、ビラを道路で配ること、客に対する呼びかけは「二四時間スト中です。ストに協力下さい。」という言葉に統一することをきめた。また前記豊瀬、羽野らは、友誼団体に対して、ただちにさきの決定に従って動員指令を発した。

ストライキ実施にあたって、友誼団体(以下支援労組という)所属組合員多数は全岩労組合員に協力して参加することとなったが、全岩労闘争委員と支援労組とは直接の指揮命令関係にはなく、支援労組の動員計画、動員要請その他組織体制は、最高責任者としては総評の豊瀬が統括して指揮をとり、全逓の羽野、総評の鈴木(但し八月三日以降)が現場のピケの責任者と定められ、さらに各出入口には各支援労組の責任者をもってピケの責任者とし、豊瀬は争議行為の実施につき随時全岩労闘争委員長ら幹部三役と協議して方針を決定しまたは全岩労との間で闘争方針等の調整をなし、羽野、鈴木を通じ各現場責任者に指令し、連絡する。各現場で紛議その他問題が生じたときは、羽野、鈴木らが、適宜処理するほか各現場の責任者である全岩労の闘争委員その下におかれた各出入口の班長その他支援労組の責任者らから本部に連絡し、その指示を仰ぐという体制がとられた。

全岩労闘争委員の任務分担は、闘争委員長三重野正明、闘争副委員長井手、闘争事務局長三重野栄子は争議全般の指揮統轄にあたり本部(組合事務所)に常駐するほか、闘争委員鐘ヶ江、同八柄豊は本部付として指令の伝達連絡に当ることとし、その他各入口の責任者として闘争委員を二名ずつ配置して、各入口のピケ全般の統轄にあたらせた。すなわち、各入口の責任者は売店口―原告今泉、同江島、南口(コンコース口、中央口、地階入口を総称する)―原告八柄明美、訴外平田、東側口―原告熊谷、訴外松島、北側口―原告牛尾、同進藤、同芳井と定め、原告芳井は写真班を兼務し、各入口の責任者の配置は五日には、売店口―原告進藤、同牛尾、同芳井、南口―訴外松島、原告熊谷、東側口―平田、原告八柄明美、北側口―原告今泉、同江島、七日には、売店口―原告芳井、訴外松島、南口―原告今泉、同八柄明美、東側口―原告牛尾、同進藤、同江島、北側口―訴外平田、原告熊谷、とそれぞれ変更された。ただし、これら現場責任者となった全岩労の闘争委員らは、原告芳井を除き執行委員となって日も浅く、闘争経験に乏しいばかりでなく、年令も若く女子も混っていることもあって、指導力に乏しいため、実際には、ピケの指導は各入口とも全岩労、支援労組を通じ、羽野、鈴木および全逓の松井正夫らならびにその傘下にある支援労組の責任者に委ねられ、全岩労の闘争委員らはピケ列の整理を他の支援労組の責任者らとともに行うほか、トラブルが生じた場合の本部との連絡役に携わる程度にすぎなかった。

スト突入後争議の具体的方針新戦術の採用等については、毎日閉店後闘争委員らが豊瀬らと当日の行動を検討して翌日の動員体制、争議戦術等の方針を決定し、その決定は翌朝スポーツセンター前集合の際、後述のとおりピケ参加者に闘争委員らより指示されたほか、随時闘争委員会が開催され、あるいは本部において本部常駐の全岩労三役と支援労組の責任者豊瀬、羽野、鈴木と協議して決定されていた。

ピケ隊の編成はスト参加の全岩労組合員をあらかじめ各所属職場別に五班に分け、各班に班長二名をおき、売店口北口、東口に各一班、南口に二班を配置した。当初この班の各入口に対する配置は日照度を考慮して一時間ごとに交替する計画であったところ、実際は、交替時にピケッティングの隊列が混乱したり、手薄になったりする欠点があることが判明したので、第一日目である八月二日午前中第一回の交替を行ったきり爾後交替を行わず、各班は各入口に固定した。

八月二日から七日まで、全岩労組合員ならびに支援労組員は、毎朝ピケにつく前に、スポーツセンター前に集合し、原告三重野栄子の経過報告の後、(八月二日、六日には、この前に原告三重野正明のあいさつがあった)原告三重野栄子及び同八柄豊(当時組合組織統制部長)がその日のピケの編成配置等につき指示説明を行ない、支援労組員に対しては羽野が動員数や全岩労の配置体制を勘案しつつ原告八柄豊とも相談のうえその日の配置を定めた後、列をつくって各入口に向ってピケにつくのを例としていた。しかしながら、支援労組員の中には、仕事の都合等で遅れたり、また動員要請とは別に自主的に参加する者もあり、これらの者は、羽野らの指示をまつことなく、各出入口のピケ隊に直行して配置についていた。また当然のことながら、ピケ配置に就く支援労組員の顔ぶれは、日々必ずしも同一ではなかった(なお、争議期間中のピケッティングその他の争議手段に対する具体的な指導、指揮等については後記認定のとおりである)。

なお、≪証拠省略≫によると、会社側は、当時中元売出しの期間であり、スト中も岩百労所属の組合員、非組合員たる従業員ならびに委託関係店員らの就労により、営業を継続する方針をたて、争議対策本部、営業対策本部を組織して営業を継続し、八月四日から六日まで八階で特別招待会を催した。さらに八月二日会社は各出入口に争議参加者の立入を禁止する旨の立札を掲げ、八月三日以降各出入口に長竿プラカード等の店内持込を禁止する旨の立札を掲げたほか、各出入口には毎日各課の課長二名ずつを配置して、各出入口からの争議参加者の入店阻止及び入店客の送迎にあたらせることとしたことが認められる。

さらに≪証拠省略≫によると、争議期間中は福岡署から、交通警官および私服刑事らが相当数、常時西鉄コンコースおよび各出入口附近に派遣され、通行人の危険の防止、交通の安全と円滑の確保、その他ピケ隊と顧客との間の予測される危害妨止のため、あるいは舗道にはみ出したピケットラインの長さを規制したり、その他必要な指示を与える等のため、後述のとおり、随時必要と認められる措置をとるとともに、危険な事態の発生に備えて、監視、待機にあたっていたことが認められる。

2  かくして、八月二日より七日までストが敢行されたが、後記認定のとおり、ピケが各出入口に連日はられたほか、争議行為として八月三日以降サンドイッチマンの店内入店、旗、旗竿の店内持込、ピケ隊の店内乱入があり、八月五日いわゆる領収書戦術が行なわれたほか、店内での宣伝活動等が行なわれたので、以下、ピケッティングその他の具体的争議行為ないし事件ごとに分ってその状況をみることゝする。

なお、≪証拠省略≫によれば、本件争議当時における被告百貨店一階の出入口、同階売場の各位置、状況は別紙図面のとおりであったことが認められる。

(一) ピケッティングについて

(1) 八月二日の状況

≪証拠省略≫を総合すれば次の事実が認められる。

八月二日午前一〇時頃、全岩労組合員は予め発せられた指令に基づき、支援労組員は早朝からの動員要請に応じて、ピケ参加者全岩労約二〇〇名、支援労組約五〇名計約二五〇名がスポーツセンター前に集合し、前記認定のとおりピケ隊が編成され、ピケ参加者はそれぞれ闘争員の腕章をつけ、こゝより行進して各出入口に向い、開店と同時に各出内口のピケについた。その後支援労組からの参加者がふえ、午後には支援労組員約二〇〇名(全逓、炭労、夕刊フクニチ、自治労、自労、大丸、渕上、玉屋、西日本新聞等)がピケに加わり、午後五時半頃まで続けられた。各出入口の状況は次のとおりであった。

(イ) 北側口

北側口には左右二つの入口があり、いずれも中央部の柱を真中にして二枚のドアが開くようになっている。こゝに支援労組を混えたピケ隊約六〇名(午後は増加)が約半数ずつ二つの入口にわかれ、左右の入口のそれぞれ両側に左右向きあう形で二列中央の柱に一列計三列、左右合計六列、それぞれ入口から舗道に向って真すぐ縦の隊形をつくり、一列の人数は約一〇名午後一四、五名位の長さで、ピケットラインをつくり、時にこの向きあった外側の列の背後にさらに二列目が重なり、六列ないし一〇列をつくっていた。

向いあった列の中はドアに近いところはドア(約八〇センチ)の幅を保ち、ピケの先端すなわち縦列の道路にのびた先も午前一一時頃まではドアの幅に開いており、後記のとおりピケの幅をドアの幅に保つよう、また客の前にふさがったりすることのないよう指示がなされていたものの時が経つにつれ、各入口ともピケ隊員の増加、あるいは説得活動や示威行動に熱中するあまり、あるいは暑さや疲労によるピケ隊のだれ、ピケ隊員の交替時、もしくは後述のピケ破りとの紛議などを契機として次第に列も乱れ、ピケの先端は漸く人一人が通れる位の幅を保つか、または時に雑然としてピケの通路を塞ぐように立っていることもあった。

さらに、ピケの先端の方に列を離れて、全岩労男子組合員と支援労組員数名(以下説得班という)が、ある者は只今二四時間スト決行中と書いたプラカードを持ち、行ったりきたり、またある者はメガホンで一般通行人に対し「只今二四時間スト中です。御協力下さい。」等の呼びかけをしたり、争議の目的と、協力を求める趣旨を書いたビラを配ったりしていた。また、建物に向って左側入口には、午後になって、支援労組の旗がたてかけられた。

ピケ隊はスクラムを組んで労働歌を高唱して気勢をあげていたが、午前中はさして目立った入店客に対するしつような話しかけは見られず、ぼつぼつ入店客は続いていたが、昼近くから次第に支援労組のピケ参加者がふえ、ピケの気勢があがった頃から、ピケの先端で、入店しようとする客に対するしつような話しかけが行なわれるようになった。

前記のようなピケの状況を見ただけで入店を諦める客が多かったが、こゝを押して入店しようとする客に対しては、ピケの先の方を行ききしていた男子組合員および支援労組員が前に立ち塞がって「今日はスト中だから買物しないで明日きてくれ。」「岩田屋の食料品は高い。」「スト中だから人員が少なくてサービスが悪い。」「食料品は今日は腐っている。」あるいは「入口は西鉄ホーム側です。」といったり、それに構わず入店しようとする客には、更に「はいる理由を言って下さい。」とか「いやにしつこいね、会社の廻し者じゃないのか。」とかいって、数分押問答したりして、客の中には立腹する者もあった。そしてさらに客がこれらの話しかけを押し切って入店しようとすると、向いあったピケ隊の隊列はわっしょいわっしょいと気勢を上げ、勢いのおもむくまま互いに近よって幅が狭まり、また入口に近い方のピケ隊の数人がピケ隊列の乱れを規制するためもしくはピケの横からピケ列を押しのけて入ろうとする客等のピケ破りを防止するため、巡視の警官の了解のもとに、旗竿を横に倒して腰の辺に持っていた(以下旗竿ピケという)が気勢を上げる際これが入店しようとする客の前に突き出されたために通路が狭められ、客が押し分けなければはいれないようになったりした。昼頃このうちをさらに押し切って入店しようとした客の中には、腕をつかんで列の外へ連れ出されたものもあった。

入口の内には課長が立って客を迎えていたがピケ隊と客が押問答を始めると、課長が外に出てきて間に入り、客を入店させることも四、五回に及んだが、これに対してさらに阻止するということはしなかった。

(ロ) 東側口

北側口と同様、全岩労組合員と支援労組を混えたピケ隊が女子を入口に近くおいて、入口から舗道へ舗道の幅の三分の一位のところまで突出して、縦に二列向きあう隊列のピケットラインをつくり、中に支援労組の旗を二、三本立てていた。こゝのピケの人員は時により三〇名ないし六〇名の間を増減しており、多いときは一列三〇名位になって車道にはみ出し、あるいは鍵形になって並んだため入口の開いたドアがかくれるようになったこともあった。午後から交通係警官の注意をうけて列を縮め向きあった列の背後に更に一列ずつ並び、一列一〇名内外の列で四列になった。

ピケの幅は入口のドア(約二メートル)の幅を保っていたが、ピケの先端は人一人が通れる幅を保っており、北側と同様ピケの隊列にある者はスクラムを組み、労働歌を歌い、ピケの先には列外で男子組合員二、三名が、ある者はプラカードを持って歩いたり、列外でビラを配ったり、メガホンで一般通行人や入店しようとする客に協力を呼びかけていたが、中には客に対して西鉄ホーム側を指示し、「入口はあちらです。」というものもあったが、客としつように押問答して入店を阻止することはなく、昼頃は入店客の出入りがかなり見られた。

なお、この入口附近にマイクが備付けられ、終日客、通行人に対する呼びかけの放送が行なわれた。

(ハ) 西鉄ホーム側各出入口

西鉄ホーム側には地階口、中央口、コンコース口、売店口、南口があり、各出入口は旧西鉄急行電車待合所および出札所に面し、しかも新天町方面より西鉄街の方に通り抜ける通路になっており、西鉄電車利用の乗降客や通行人が多く、平常時、殊にラッシュ・アワーには相当混雑する場所である。

なお、別紙図面のとおり西鉄ホーム側出入口のうち地階口、中央口、売店口は西鉄電車発着所に向き、コンコース口は東側に向き、南口は地階口を向いてそれぞれ設けられ、各出入口と西鉄出札所との間には、本館から約二メートル(中央口、地階口から約五メートルの位置)に一列、そこから更に三メートルの位置に一列計二列の円柱及び角柱が並んでいる。

西鉄ホーム側には組合員ならびに支援労組員を混えて約二〇〇名が各出入口三、四〇名ないし六、七〇名ずつに分れてピケをはった。

ピケの隊形は各出入口とも、北側口、東側口と同様二列が向いあって中央口は三列、売店口は二列ずつで四列が、入口から西鉄側に向って並ぶいわゆる縦のピケをはった。向いあった二列の幅は、おゝむねドアの幅(一メートルないし一・五メートル)をあけて、入店する客の通路をつくり、ピケ参加者はスクラムを組み、労働歌を歌って気勢をあげていた。ピケは午前中一列一四、五名の長さでその先端は一列目の柱の先まで並んでいたが、昼頃から支援労組のピケに参加する者もふえ、ピケの列と通行人および電車乗降客が混り合って混雑し、一般通行人の妨害になるため、交通係警官の注意をうけてピケを第一列目の柱の内側に縮めた。

このようにして、昼頃からピケの列は向いあった列の背後に更に二列三列が重なりあい、列も乱れるようになった。通路の幅はドア近くは終始比較的ドアの幅が保たれていたが、ピケの先端はしばしば人一人がようやく通れる位の幅に縮まっていた。

ピケの先端すなわち入口の反対側では、北側口、東側口同様列からはずれて全岩労の闘争委員、支援労組員ら主として男子が三、四名一組の説得班数組が、うちある者は只今「二四時間スト決行中」と書いたプラカードをかついで歩き廻り、またある者はメガホンで通行人に「二四時間スト中ですから御協力下さい。」「買物をしないで下さい。」と呼びかけたりしていたが、入店しようとする客があると、これに近づいて二、三名で取り囲み、「スト中ですから入らないで下さい。」「何の用で入るんですか。入る理由をいって下さい。」「西鉄街で買物をして下さい」「今日は岩田屋は高い、こゝで買わず、玉屋か大丸で買ったらどうか。」「労働者の敵はおはいり下さい。」また地階口などでは、「品物が腐っている。」と言ったり「岩田屋は高い。」「品物は悪いですよ。」などとしつように話しかけ、これを押しきって入店しようとすると、ピケ隊はわっしょいわっしょい掛声をかけながら両側から寄せてきたり、頭を下げてスト協力を要請したりして通路の幅が狭くなるという事態もあった。これらの各出入口とも、午前中は入店しようとする客との押問答はなく入店しようとすれば、女客あるいは子供連れであっても入店できる状態であったが、午後からはかなりしつこい押問答が客と各入口のピケ隊あるいは説得班との間に繰り返され、その結果買物を断念したり立腹したりする客も多く、押切って入るにはかなりの勇気を要する状況が続いていた。

ピケの隊列も、コンコース口は、はじめから鍵形に湾曲して列をつくり、午後から地階口もピケを真直ぐ張って交通妨害になるという警察の指示によりくの字に曲り、そのため第一列の柱の本館に向って右から二番目と三番目の円柱の間に、コンコース口、中央口、地階口のピケの先端が集り、ピケ隊、説得班、通行人、入店しようとしてちゅうちょしている者が入りまじり、すぐには入口が分らないような状態となっていた。また売店口、中央口には午後二時頃から、北口と同様の目的で旗竿ピケ(長さ約三メートル)が行なわれ、入店客が通ると旗竿を腰の高さに持上げ、わっしょいわっしょい気勢をあげた。

また、売店口でピケの列を通って入ろうとする男客の腕をピケ参加者が後から引張り、五、六人で「あんた会社員じゃろが、労働者の敵にならんでもよか」としつこく話しかけて入店を阻もうとしたり、また婦人客に対しても取囲んで「あんたの主人もサラリーマンじゃろう。岩田屋で買物せんでもいいじゃないか。スト中だから」などと話しかけ、入店しようとすると気勢をあげ、ピケの幅を狭めたため、ある婦人客のゆかたの袖付がほころびるということも起った。

南口には女子組合員が四、五名階段に腰かけていたとか、ピケをはっていたことの証明はない。

南口にはピケははられず、マイクが備えつけられ、原告三重野栄子、同八柄明美その他が交替して一般通行人にストに協力を求める趣旨の放送を行ない、時に、喧噪にわたることもあった。

各出入口からの客の入店は、各出入口のピケにもかかわらず、午前中は比較的入店する者も続いていたが、午後からは客足も落ち、午後三時頃はかなり減少した。また、店から出る客に対しては説得活動等により立ちふさがるなどの行動はとられていない。

原告らは、各出入口とも終日二人通れる幅を保ち、説得班が客の前に立ちふさがったり、これを取り囲んで押問答したりしたことはなく、また「岩田屋は高い。」「サービスが悪い。」「食料品は腐っている。」「入口は西鉄ホーム側です。」などといったことはない旨主張するがこれに沿う≪証拠省略≫はにわかに信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、ピケッティングに対する基本方針をストライキ参加の全岩労組合員および支援労組員らに遵守させるべく、全岩労および支援労組それぞれにつき指導連絡体制がとられ、また毎日スポーツセンター前に集合した際、ピケ参加者にその都度指示が与えられたことは前記認定のとおりであるが、さらに≪証拠省略≫によれば、その他に八月二日以降争議終了まで、ピケ隊員らがピケッティングの方針や指示事項を遵守しているかどうか監視するため、全岩労幹部三役や現場責任者である羽野、鈴木、松井らが連日数回各出入口を巡視してピケが方針どおり顧客のはいれる幅が確保されているかどうか、顧客との間に紛議がないかどうか、どのような呼びかけの言葉が使われているか等を実地に見てまわり、幅が狭まるなど当初の方針に沿わず、または顧客との紛議が予想されるなど、問題があると思われる場合には、その都度必要な指示を与えるなどピケ全般の指導、規制にあたったほか、場合によっては、同人らが警備中の警官と同行のうえピケ険を巡視し、交通規制や顧客との紛議の防止その他警備の立場からする警察の指示、申入れ等につき、現場で意見を調整しつつ、その旨を出入口の各責任者などに伝えるなどピケ隊に指示を与えたり、規制したりしていたことが認められる。

また、≪証拠省略≫によれば、八月二日以降連日のようにストライキに無理解なまたは反感ないし敵意を懐く客等で、ことさらにピケ隊列を横から破って店内に押し入ろうとしたり、自から求めて口論をふっかけたり、罵声を浴びせたりするものがみかけられ、これに対してピケ隊がこれらの者をスクラムでおし戻すとか、「入口はここではない。あちらから這入ってくれ」などと呼びかけたり、「ピケ破り」などと叱責したりし、ためにピケ隊とこれらの者との間に「岩田屋の廻し者」とか、「どこからはいろうと俺の勝手だ、警察を呼べ。」などの押問答が交されたりして、多少の紛議が生じ巡視中の警官が仲裁に入るような事態もしばしば生じた。

(2) 八月三日

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

八月三日は日曜日のため支援団体の動員数が少く前日に比較してピケ参加者は減少し、全岩労、支援労組計約三〇〇名が各入口に四、五〇名ずつに分れて、その隊形は入口から縦に通路をあけてピケを張り、女子が店に近い方に並び、男子が道の方に並び、説得班には支援労組及び闘争委員がなっていた。各入口とも前日に比してやや通路の幅は広くなり、午前中は人二人通れる幅に開いているところもあり、正午から二時頃までは昼食時の交替で、ピケ隊は減少したが、午後から支援労組の参加者がふえるに従って、各出入口で前日と同様の、入店客に対する呼びかけ、押問答が行なわれた。

三日以降、マイクをさらに売店口に一個とりつけ、西鉄ホーム南口と、東側口と三か所で、通行人、入店客に対する呼びかけの放送が行われるようになった。この日ピケは午後六時半頃まで張られた(閉店は午後七時)。各入口において、特に目立った状況は次のとおりである。

(イ) 北側口

午前中は約三〇名が一列五、六名ずつ六列縦にいちおう整然と並んでいたが、支援労組が昼からふえて約三〇名がピケに加わり、外側の向いあう列の後に並んで時に一〇列位になることもあった。説得班は前日同様三、四名、また時には七、八名が列の先を徘徊し、午後二時頃入店しようとする客が近づくと、ピケの列の通路を塞ぐような形で立ちどまって、客に「何のために這入るのですか」と問いかけ、這入ろうとすると「あんた岩田屋の廻し者じゃないですか。」などと言ったり、「岩田屋はサービスが悪いですよ。」「高いですよ。」「買物はよそでして下さい。」という者もあった。また列の中には説得班がはいり込み客を両側の列と、説得班とで取り囲むようにしてしつように説得活動をする光景もみられた。

午後旗竿ピケが時により行なわれた。

午前中は客の入りは続いていたが午後ピケの人数が増加し、列の前の呼びかけが行なわれた頃にはピケ隊もこれに呼応して気勢をあげ、屡々ピケの幅が狭まったりしたので、入店しようとする客が、ピケの列を押しわけたり、駆けぬけてはいるという状況も見うけられた。

(ロ) 東側口

午後列は二、三列ジグザグになって舗道にのび、ピケの幅は一人通れる位の通路をあけていたが、午後二時頃入店しようとする婦人客に近づいて、ピケの先の方で二、三人メガホンをつけた男子労組員が寄っていって、「西鉄中央口にいってくれ。」と言ったり、また、押し分けてはいろうとする婦人客の洋傘を、参加者のある者が後からとらえてひき、客は怒ってピケ隊と押問答して結局入店したような状況も見うけられた。

(ハ) 西鉄ホーム側

各入口に四、五〇人がピケをはった。

売店口は午前中前日同様ドアの幅をあけて縦に並んでいたが、昼頃、交通や売店の営業の妨げになるから列を曲げるようにとの警察の申入れにより、ドアから四尺位の所から右に曲げ、別紙図面記載本館から第一列目の列柱の内向って左から三番目の角柱の後(本館寄り)に、ピケの先端がゆくように並び、内側本館壁沿いの一列と外側の一列とが向い合わせに並び、なお外側にいま一列が上記の外側一列と背中合わせに外側を向いて並ぶようになり、この列の間はドアの幅を開けていたが、新天町から入って来る客には一見しただけでは入口が判別しにくいような隊形をつくっていた。

コンコース口は、前日同様一列一〇名位で二列向いあい、湾曲した隊形のピケを張っていた。

中央口は入口から真直ぐにドア二枚の幅をあけて、三列ときには四列、一列七、八人位で並び、午後二時過ぎには第二列柱附近まで列がのびたこともあった。

ピケ隊の先端に近い部分には旗竿ピケがみられた。

地階入口には前日同様入口から第一列柱右から二番目の円柱に向って斜にピケを張っていたが、ピケ破りや通行客によるピケ隊列の混乱を防ぐため、右側の列の外側には、さらに三、四人が外側に向けて配置され、呼びかけにあたっていた。

いずれも、列の外に前日同様のプラカード、メガホンを持ったものが歩き廻っており、入店しようと近づく客に寄って、「今日は買わないで下さい。よそで買って下さい。」とか、「岩田屋は高いですよ。サービスが悪いですよ。」などというほか、ピケの先端に並ぶ者も呼びかけを行なった。入店しようとする客が入れてくれというと、はいらないでくれという支援労組員との問答が各所で行なわれ、中には断念して帰るもの、押し切って入店する客もあり、中央口では昼頃から押し切って入店しようとした客に対してスクラムを組んだピケ隊が気勢を上げ、その際列の幅が狭まったため、列の外に押し出された客もあった。

午後一時頃中央口附近で、男客に続いてはいろうとした婦人客がピケ隊の気勢に呑まれ、ピケ隊列の中で立ちどまると、メガホンを持った組合員が肩を叩いて「何をうろうろしているか、はいるならはいれ、出るなら出ろ。」などといって、結局入店を断念させた。

売店口でピケの隊形をかえてから、ドア附近から入店しようとする客には外側のピケラインに立つ者が、向うのピケの先に開いた入口からはいるようにピケの入口を示していた。列の横から入店しようとする客はスクラムを組んではいれないようにしたが、中にはピケ隊の指し示す入口を通って入店しようとせず、スクラムを破って入店する客もあった。

以上のピケのほか三日には、サンドイッチマンの店内入店、旗竿の持込等の行なわれたことは後記認定のとおりである。

≪証拠省略≫中、労組員らが終日、入店客の前に立ちふさがったり、これを取りかこんだりしたことはなく、また、ピケ隊列の幅が狭まったり、入口がわからなくなったりしたことはない旨の記載部分ならびに≪証拠省略≫中朝ピケ隊がスポーツセンター前に集合した際原告三重野正明が「岩田屋はサービスが悪いからよそで買物をしてくれ。」と呼びかけるようピケ隊員に指示した旨の記載部分はいずれも信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) 八月四日

≪証拠省略≫を総合すれば次の事実が認められる。

八月三日総評の豊瀬から会社幹部に争議解決のため非公式な交渉申入れがなされていたが、四日午後会社からは譲歩の余地なしとの回答がなされた。この日は前日どおり各入口にピケが張られたほか、後記のとおり、サンドイッチマンの入店、旗持込みなどが行われ、また数回にわたりピケ隊のなだれ込みなどがあった。

この日、会社側は特別招待日の第一日目で通常の開店時間よりやゝ早目に第一ドアのシャッターをあげて客を中のドアまで入れて、開店と同時に入店させた。この客が入店した頃から、各出入口に前日同様入口はドアの幅にあけて二列が向いあって入口に直角に縦の隊形をつくって並び、ピケの人員は午前中比較的少く、午後は支援労組がふえて、平均三〇名ないし五〇名がピケについた。各ピケの先端について、または列からやゝ離れて、三、四名または五、六名の説得班がメガホン、プラカードをもち、あるいはサンドイッチマンのかっこうをして客に協力を訴え、あるいはビラ配りをしていたことは前日同様であった。この他各出入口ごとの状況は、北側口には一列七、八人で四列ないし六列が並び、ピケの幅は一メートルあいていたが、午後には屡々雑然とし、旗竿ピケもみられた。ことに会社幹部が入口付近に現われた際、ピケ隊員が口々に「団交、団交」と叫んで、気勢をあげ、そのためにピケ隊列が一時乱れたこともあった。こゝでは午後客が這入ろうとすると向いあった列の両端の者が向きをかえて、客に向きあい「ストに御協力下さい。」「スト中買物しないで下さい。」とか、中には「岩田屋はサービスが悪い。」「地下の食料品は腐っている。」などといったりした。午後には、この口からはいろうとした年寄客のバンドを後からひいて、列の外へ出そうとしたり、二、三の婦人客のパラソルをつかんだり、または洋服の裾を引っぱったりしたこともあった。

東側口では前日同様二列向きあう形のピケで、列の中にプラカード、旗を持って立っている者もあり、ピケの先端が扇形に開いている時もあったが、午後、ピケ列の中に客が入ってゆくと、列の先の男が立ちふさがり、これを押しのけると、次の女の人が列の中で前に立ちふさがり、順次「何を買いにきたのですか。」と言って、客がどいてくれと言ってもなかなか動かなかったりして、押し入らないとはいれないような状態もみられたが、押し返えされるようなことはなかった。

西鉄ホーム側も前日同様急行電車の到着時、通行人のゆききの多い時刻頃、及び午後ピケ隊の人員のふえた頃には相当の混雑がみられた。

地階口は前日同様斜のピケがはられたが、時間により旗竿ピケが行われた。午後二時頃にはピケの列も乱れ、四、五名位ずつがあちこちを向いてかたまり、中には地階口から地下室に降りる段階の途中までピケ隊が入りこみ、地階に降りてゆく客に向って口々に「買わないで帰ってくれ。」などと呼びかけ、そのため段階でよろけた婦人客もあった。この頃、外から入店しようとする客には、ピケ隊の女の人が客に近寄って前に立ちふさがり、右同様の話しかけが行われた。

中央口では、一列一〇名内外が二列から三列に並び、午後になって、入店しようとする客に、列の前で立ち塞ったり取り囲んだりして、前記認定のとおりの言葉で話しかけ、客と「入れてくれ。」「はいれない。」の押問答が行なわれ、さらに押し切ってはいろうとする客に対しても、ピケ隊がしつように協力を呼びかけて気勢をあげ、もまれて列の外に押し出される客もあり、中には着衣の袖を引っぱられて袖付がほころび、ために買物を断念した婦人客もあった。

コンコース口は前日同様湾曲した形のピケが張られ、昼頃、及び午後四時過ぎ頃には、コンコース口、中央口、地階口のピケの先端が入り混り混雑し、一見しただけでは入口がよくわからないような状況もあり、客がピケ隊と押問答の末漸く出入りするというような光景もまま見られた。

売店には前日同様入口から第一列目の左から三番目の四角い柱の内側へ湾曲した形のピケが一日中はられた。午前中は入口の幅は子供連の客が通れる位であったが、午後からは各入口同様ピケの列もしばしば乱れ、ピケの先端およびピケの列内で、はいろうとする客の前に立ち塞がって話かけ、あるいは客との押問答が行なわれ、その間ピケ隊はスクラムを組んでわっしょいわっしょい掛声をかけたりしていた。

なお、この日は、後述のとおり、午後三時頃及び六時頃、一階でサンドイッチマンと会社側課長らとが対峙した時、中央口、売店口から一〇名位のピケ隊が店内にどっとはいり、その間ピケ隊は入口に塊ってしばらくの間入口を塞いだ。客の入りは午前中は前日よりかなりふえたが、午後からは前日同様減少した。

以上の事実が認められる。≪証拠省略≫中この日ピケ隊ないし説得班が個々の入店客に対しスト協力を呼びかけたことも、またサービスが悪いとか、高いとか食料品が腐っているとかの呼びかけを行なったこともなく、また入店客の前に立ち塞がったり、ピケの幅が狭まったり、時に入口がよく分らなくなったり、また客が押し入らなければはいれない状況になったことは全くないとの供述記載はにわかに信用できず、また≪証拠省略≫中には売店口で午後五時ごろ、ジュースをかけられた旨の供述記載があるが、それがピケ隊の意識的行為によるものと認めることのできる証拠はない。他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) 八月五日

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

会社側は特別招待会の入店客を早目に入店させ、組合は開店後各出入口に前日と同様の隊形のピケを張った。ピケに参加する全岩労の組合員は前日より減少したが、午後から支援労組のピケに参加する者がふえ、多いときは平均して各入口五〇名位がピケについた。列の長さは午前中七、八名、午後は一二、三名になったところもあった。ピケの幅は、二人通れる幅が保たれていたが、連日の暑さと疲労のため坐り込んだりする者もあり、次第に雑然として来た。ピケの先にいた説得班の行動も前日のとおりであり、ピケの隊列の先でメガホンで呼びかける者、プラカードを持って立つ者などあった。

各出入口に、昼頃警官と闘争委員、ピケの責任者が立会のうえ、北側口は入口から二メートル位の位置に、西鉄ホーム側は第一列目の列柱の内側に、北側口はドアの幅で、西鉄ホーム側はやや狭く二人通れる幅で、ほぼピケの現状に則して地上にペンキでピケの長さおよび幅を標示した。

なお、右のような標示がなされるようになった経緯はおおよそ次のとおりである。すなわち、従来とも警察は、交通規制、紛議防止等の見地から、争議団のピケッティングについては、闘争委員長らを通じ、自己の意向を示したり、注意を与えたり、また現場で直接ピケ責任者に対し、必要な指示を与えたり、闘争委員長らとともに巡視し、意思の統一を図ったりしてきたが、連日のピケッティングに対して、市民および被告会社よりの警察に対する苦情、抗議が絶えなかったところ、警察としてもこれらの苦情、抗議に対して何らかの形でその姿勢を明確に示し、各出入口でのピケ隊と入店客らとの紛糾を防止し、一般通行人の交通妨害とならぬようにする必要に迫られたため、改めてピケットラインに対する警察の指導方針を統一し、争議団との間の意思統一を図るべく、ピケ責任者と打ち合わせ、これを立ち会わせたうえ、黄ペンキでラインを引き、ピケットラインの幅および長さを画することになったものである。そして上述のとおり、ほぼピケットラインの現状に則してラインは引かれた(もっとも、証人嶋山宗雄の証言中には、ピケットラインの張り方についてすでに数回にわたり署長名で威力業務妨害になる旨争議団に対して警告するも、依然として、警告を無視して客の自由な出入を妨害するので、これを防止するためラインは引かれた旨、売店口および地階口についてもピケ隊列の現状と異なり出入口と直角にラインが引かれた旨およびラインは現状を確認したものでなく、ピケ隊列が客が自由に通れる状態になかったのでこれを拡げさせ、自由に通れる幅を確保するために引くことになった旨の供述部分があるが、同証言によってもラインを引いてしばらくの間はピケ隊列は整然としていたが、その後はラインを引く以前の雑然とした状態にもどってしまい、かつペンキも翌日には殆ど見えない状態になったのに、翌日引き直されることがなかったこと、さらに、ラインを引くとき悪口雑言をあびせられ、また当初警察の方針はラインの長さは出入口から第一列目の円柱列までのおよそ半分、幅は出入口の幅ということであったのに、争議団の抵抗にあい譲歩の結果、結局前記のとおりになったことが窺われるし、さらには、被告側の証拠の中にさえ地階口のラインは斜めに引かれたとするものもあるから、ライン引きが右証人のいうようにそれほど特別の意味をもつものでも、現状を変更しピケの幅を拡げさせたり、方向を変えたりするものでもなく、要は警察のピケットラインに対する見解を現場において具体的に明示し、争議団との意思統一をはかり入店客との紛議防止や交通規制に役立てようとした程度のものにすぎないと解するのが相当である。)。

その後二時頃まで標識の位置にピケ隊が並びピケは整然としていたが、そのため客がはいりやすくなったこともあり、ピケ隊のほうでも労働歌などを高唱して気勢を上げ、それをきっかけに、その後はしばしば雑然とすることがあり、巡視の警官が近づくと標識の位置に戻るということを繰返していた。このほか各出入口の状況は、次のとおりである。

北側口ではピケの列の中に入って来ようとする客の前へ、メガホンを持った者が横からすりよって前に立ち、「ストに協力して下さい。お買物はよそでして下さい。」と呼びかけて動かず、押しのけて、入店しようとする客と言いあいをしたり、さらに押しきって入店しようとする客の中には肩のあたりを引張られ押し出されるものもあった。また、列外ではサンドイッチマンに扮した労組員がサービスが悪いとか高いですよなどと呼びかけていた。

東側口では午前中ピケ隊員の数は少く、二〇名位が二列に分れていたが、午前一一時頃には支援労組員が加って二、三〇名になっていた。五、六名が腕組みをして、客の前に立ちふさがったりしたほか客に対する呼びかけは北側口と同様であった。

地階口ではピケについた者四、五名が口を揃えてピケの列を通って入る客に「岩田屋の食料品には赤痢菌が入っている。」とか、「食料品を買った客の中から患者が出た。」とか、「売れ残りで腐っている。」とか言っていた。中には階段を途中まで降りて地階売場に向って叫ぶものもあった。午後ピケの先端ではピケ隊列外の支援労組員が入店しようとする客と押問答し、その間ピケ隊列の女子組合員がわっしょいわっしょいとはやしたてるとか、旗竿を数人で持って客が通ろうとするとわっしょいわっしょいと気勢を上げ、勢い旗竿が前に押し出されることになり、ピケの幅が瞬間狭められるということがあった。

地階口および中央口とコンコース口のピケの先端は先を接し、このピケの先端を説得班が歩くと、出入口がわかり難いという状況も起った。中央口から入ろうとする婦人客を組合員四、五名で取囲んで協力するよう話しかけ、あるいは「貴方のご主人も労働者じゃありませんか。労働者の敵になりなさんな。」と嫌味をいう者もあり、また昼頃入店しようとする客に立ち塞がって「岩田屋の食堂には赤痢菌がいて危い。」といったりする者があった。また、客の前でばか丁寧に頭を下げたりした。

売店口では地階口、中央口と同様の言葉で話しかけが行なわれたほか、話しかけのため客の前に立ちふさがり、あるいは取り囲んでしつように話しかける方法がとられ、時には旗ざおピケが行なわれ、また左から二本目の角柱と同三番目の大きな角柱の間は旗ざおがあってそこからは出入ができないようになっていた。

なお閉店間際に一階でサンドイッチマンと会社側課長等と対峙した時、中央口よりピケ隊が一〇数名なだれ込み、その間ピケ隊は入口に塊ってわっしょいわっしょい気勢を上げ入口を暫時塞いだ。

以上の事実が認められる。

≪証拠省略≫中、ピケ隊員ないし説得班が入店客の前に立ちふさがったり、取り囲んだりしたことは全くなく、また客とのトラブルもなかった旨およびピケ隊列の幅が狭まったり、説得班の列外での呼びかけによって出入口がわかり難くなったりしたことは全くない旨の部分はにわかに信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

被告は売店口のピケ隊が客にジュースをかけた旨主張し、≪証拠省略≫によると、客が売店口の人混みでジュースをかけられたことが認められるけれども、右事故が組合員の故意によってなされたものかどうかを認めることができる的確な証拠はない。

なおこの日も後記のとおり、サンドイッチマンの入店、旗持ち込み、閉店間際の店内乱入事件があったほか、領収書事件があった。

(5) 八月六日および七日

≪証拠省略≫を総合すると、次のような事実が認められる。

八月六日まで特別招待会が行なわれ、この日会社は前日どおり招待客は開店前に入店させ、組合はその後にピケを張った。ピケ隊員の数は日を追って減少傾向にあり六日にはさほどでなかったが、七日は午前中は参加者一二〇名位であった(このことは当事者間に争いがない)が、午後四時頃支援労組が多少ふえた。したがって六日以降はピケにつく者は女子よりも支援労組の男子の方が多くなった。各出入口のピケの隊形は従前と同様であった。

メガホン、プラカードを持ってピケの先を歩くもの、ビラを配るものは前日と同様であった。北側口では相変わらず、入店しようとする客の前に説得班が立ちふさがり、しつような押問答が繰り返えされた。客に対する話かけは、主として「岩田屋で買わないで協力して下さい。」が用いられていたが「岩田屋は高い」などと呼びかける者もあった。六日午前中入店しようとする婦人客に「はいらないでくれ。」と胸を突き、更にはいろうとする同人の顔に突きつけるようにプラカードを持つ者もあったので、当該客は危険を感じて入店を断念した。

東側口では列が雑然とし、ピケの先端が斜に曲っていたこともある。六日の午後四時頃入店しようとする客に前に立ってビラを配ろうとし、これを押してはいろうとすると、更に他の者が前に立って同じ客にしつようにビラを渡そうとしたことがある。

地階口では六日午後旗竿ピケがみられたほか、押してはいろうとする客に対して、「こんなに言ってもわからんのか。」などといって背中のあたりを押し、列外に押し出すといった行為も見受けられた。また地階口では六日には五日と同様「岩田屋の食料品には赤痢菌がいる。」という言葉が聞かれた。地階口、中央口、コンコース口の先端が接近していたことは前日と同様である。地階口や中央口では旗竿を持っていたこともある。

八月六日昼頃、中央口と売店口で四、五名のピケ隊がしつように協力要請するのを、押して入店しようとして取り囲まれて突かれ、列の外に出された客、八月七日コンコース口で出ようとする客が、ピケ隊五、六名が出口をふさいでいたため、「どけ、どかんなら出るぞ、横着者が」などと口論したあげく、ぽんと突かれて荷物をとり落したことがある。

以上のほか、六日、七日には客との押問答は前日よりも少く、ピケを意に介せず入店する者が多く、客の入りも次第に回復していた。

なお、六日午後閉店間際に、一階でサンドイッチマンと会社側と対峙したとき、前日同様中央口のピケ隊が乱入し、暫くの間出入口を塞いだ。

また、七日午後には西鉄ホーム側では労組員らが「禿が出た出た」などと被告会社の課長らを愚弄するような炭坑節やトンコ節の替え歌を歌ったり、踊ったりするような光景も見かけられた。

以上の事実が認められる。≪証拠省略≫中労組員らが入店しようとする客の説得のため前に立ちふさがったり、ピケ隊列が狭められたりしたことが全くないとの記載部分および≪証拠省略≫中この日北側口で全日自労の支援労組員(婦人)らが、「岩田屋の食料品は腐っている。赤痢菌がいる。」などといっていたので、三重野闘争委員長に問い糺すと、同委員長はスト中だからかまわぬ。いままでもずっといわせていたとある部分のうち、前段の点はともかくも、後段の三重野発言部分は、にわかに信用できない。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二) サンドイッチマンについて

≪証拠省略≫を総合すれば次の事実を認めることができる。

(1) 八月三日

午前一一時頃支援労組の一人が長さ四〇センチ、巾三〇センチ大のボール紙二枚に「只今、二四時間スト中です。買わずに御協力下さい。」と書いたプラカード二枚を体の前後にたらした風態、いわゆるサンドイッチマンとなって店内に入り、店内を徘徊したこと、会社の高島営業次長と問答の後店外に出たこと、午後にも店内にサンドイッチマンが入店したことは当事者間に争いがない。

午前中入店したサンドイッチマンと同様の風態をした支援労組員によるサンドイッチマンが、午後四時半頃から約二〇名が四、五名一組となり、四組が、各組二階ずつを担当し、客を装って店内に入ってから、店内でプラカードをつけて、八階から一階まで各階をゆっくりと縦に列をつくって徘徊し、中には「買わないで下さい。ストに協力して下さい。」と連呼し、また、岩百労に対し共闘を呼びかけるほか、買物の品定め中の客の傍に寄ってスト協力を呼びかけ、「岩田屋の商品は高い。」「早く出ていって下さい。」などといい、怒った客と口論する場面も見うけられた。同人らは逐次一階に降りて、さらに一団となって一階を徘徊しようとした。そこで、これを外に出そうとする会社側課長団と対峙し、切迫した空気の中で押問答したうえやがて外に出た。

(2) 八月四日

午前中から、支援労組員三、四名あるいは五、六名一組のサンドイッチマン数組が各入口より入店しようとして課長団と押問答の末、多いときは二〇ないし三〇人位店内にはいり、各階を列をつくって歩きつつメガホンで客に協力を呼びかけるほか、客の傍へ寄って「買物をしないでくれ。サービスが悪い。」などと客の耳元でメガホンで呼びかけたり、または「何を買うとね、岩田屋は高い。岩田屋で買わんでもどこにでもある。」などと買物しないようしつように話しかけ、立腹した客と口論となり、または、口論の仲裁にはいったり、客の買物の妨害をしないよう呼びかける店員に対し喰ってかかったりした。また午後二時頃、一階ネクタイ売場では客の耳元で「岩田屋の品物は高い。」とか、「サービスが悪い。」とかしつこく言ったため、委託販売店員とサンドイッチマンとが言いあい、これに課長らが加わり、店外に出るように言ってもなかなか応じないということがあった。

午後五時頃には、支援労組員約二〇名が客を装って店内に入り、屋上に集って、ポケットにはいるように、洋紙に前日同様の文字を書き、折りたたんだものを拡げて体の後につけ、一〇名位ずつが一組となって、八階から順次各階をゆっくりと徘徊し、うち、ある組は八階特売場、七階食堂を通りぬけ、七階では食事している客の傍を一人ずつ「岩田屋で買物しないで下さい。ストにご協力下さい。」と言いながら通りぬけたりして、一階まで順次各階売場通路を一列になって通りぬけ、北側階段コンコース口階段から降りた各組が、一階でさらに一巡しようとしたところ、スクラムを組んでこれを阻止しようとする会社側の課長の一団と向いあい、前日同様一時険悪な状態に立ちいたったが、総評の豊瀬が仲に入ってサンドイッチマンらを引き上げさせた。

(3) 八月五日

午後二、三名あるいは四、五名が一組となり(うち一組には全岩労の組合員もはいって)、支援労組のサンドイッチマン二、三組が店内にはいり、多くは黙って一列に並んで通りぬけていったが、中に、六階、四階ではメガホンで「ストにご協力下さい。」と呼びかけたり、支援労組の組は品定め中の客の傍に立ちどまり、「そんな傷ものは買いなさんな。」とか「ストに協力してくれなければ困る。」とかいって客の買物を邪魔し怒った客と口論となり、店員がこれを注意すると、かえってこれに対して食ってかかったりするものがあった。

午後六時頃、支援労組及び全岩労の組合員を混えたサンドイッチマン数組が一階を歩き廻り、これを阻止して外に出そうとする会社側課長の一団一〇数名と交通公社付近で押し合い、烈しい口論のやりとりの末、約二〇分位して、警官が仲に入ったため引き揚げた。この間中央口のピケ隊多数が入り込み、また中央口の入口にかたまってわっしょいわっしょいと言って声援していた。

(4) 八月六日

サンドイッチマン数組が店内にはいり、二階ではガラスケースを覗いて品定めをしている客の前を押しのけるようにわざと通ったり、「そんな高いものを買うのか。」などと嫌味をいい、買物客の気分を不愉快にさせて、買物を断念させたり、一階ワイシャツ売場では、婦人客に対し「誰んと作りよっとな」と赤面させるようなことをいったり、また地階では「おばさん何買うのか」としつようにつきまとい、買物客の気分をこわして予定の買物を断念させるなどの行為をしたほか、午後三時頃、支援労組員約二〇名が店内に入り、前日同様屋上でサンドイッチマンになり、一〇名位が一組になって、一列をつくって各階売場の通路を練り歩き、また時にはジグザグになって通路をふさぎ、七階では食堂に這入り、客の傍を通りぬけながら、メガホンで呼びかけるものもあり、順次各階を降りて一階売場を一巡しようとし、前日同様これを阻止して、外へ出そうとする課長ら一〇数名の一団と交通公社前で対峙し、その際、東側口よりピケ隊多数も入店し、暫時、会社側と通せ通さないの激しい口論の末外に出た。この間、付近の売場は相当に混雑した。

また午後六時頃にも、一階売場でサンドイッチマンの一団が通路一ぱいになって歩き、これを止めて外に出そうとする課長らと対立して、一瞬険悪な状態になったが、警官が介入して結局外に出た。

(5) 八月七日

前日同様、夕方閉店間際にサンドイッチマン六、七名が地階及び一階を徘徊し、客と口論したりして課長らが出ていくように制止しても、すぐには出ていかず、押問答を繰り返した。

以上の事実が認められ、≪証拠省略≫中、原告三重野正明が朝スポーツセンター前に集合した争議団に対し、店内の客が多くなったところを見計らって、サンドイッチマンが店内に入り、大声で労働者の敵はおはいり下さいなどと呼びかける戦術をあらたにとる旨あいさつした旨の記載部分は、これを否定する≪証拠省略≫に照らして採用しがたく、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

(三) 旗または旗竿の店内持込みについて

≪証拠省略≫を総合すれば、次のとおりの事実が認められる。

(1) 八月三日

午後二時頃から、支援労組員が四、五名ずつ一組となり三メートルから四メートルの旗竿をかついだ一団が数組あいついで、阻止する課長らを押しきって店内にはいり、一、二階をねり歩き、あるいはその一部はエレベーターで上に上がり、さらに上の階の売場通路を塞ぐようにして歩き、また六時頃には北側口から支援労組員ら三、四〇名が二本の旗を先頭にサンドイッチマンも混えて入店し、四名位で旗竿を水平に持って一階売場を練り歩き、課長らがこれを阻止すると、うちある者は地階に降りてサンドイッチマンと一緒になって練り歩いた。

なかのある者はお客の傍へ寄って、「買物をしなさんな、出ていきなさい。」、また、「早く出てくれ、サービスが悪い。」というものもあった。

(2) 八月四日

午後四時頃、支援労組約三、四〇名の一団が、旗二、三本をそれぞれ二、三名で横に倒して持って、北側口から入店しようとし、高島次長が入口で阻止したのに、そのまま入店し、エレベーター付近で阻止しようとする会社側課長らと言いあって、うち一四、五名は旗竿を持つ者を混えたまま、エレベーターに乗って上の階に昇ってゆき、残りの者はそのまゝばらばらに別れて各出入口から出ていった。この間、売店口のピケ隊が応援のため相当数はいり込み、残りの売店口のピケ隊員が入口につめ寄って、がんばれがんばれなどと言って声援した。

六階でも、旗を五、六名で横に倒して、サンドイッチマンとともに売場通路を歩きながら、大声で「岩田屋の品物は高くてサービスが悪い。」と叫んだが、会社から退去を命じられ、そのまま降りていった。

(3) 八月五日

前日同様、一階、地階、六階で支援労組の四、五名の旗竿の一団がみられ、地階、一階では縦に長く倒して、売場通路を、客が身をよけねばならないような形で歩き、客の耳元で呼びかけを行なっていた。また、六階ではエレベーター前で客と口論し、会社側がかけつけると、エレベーターに乗って下に逃げた。なお、六日、七日には旗竿の持ち込みはみられなかった。

(四) 店内乱入事件について

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

(1) 八月三日

午後二時頃、中央口付近に店内の様子を見に入店して来た原告三重野正明、同八柄豊と、この入店を阻止しようとする課長らの一団とが、入らせよ、入らせないで押問答を行なった際、中央口のピケ隊約二、三〇名がどっと入店してきて、課長を取巻いて原告三重野正明らに加勢し、この間、中央口のピケは入口にかたまってわっしょいわっしょいと言って委員長を声援したりして、そのために、約二〇分位、薬品売場付近は喧噪をきわめたが、警官が仲に入って、ピケ隊員らはすぐ中央口から外に出た。また原告三重野正明、同八柄豊も特定物品搬出口から外に出た(同原告らが同時刻頃中央口付近に入店していたことは当事者間に争いがない)。

(2) 八月四日

午後一時頃交通公社前でサンドイッチマン七、八名と課長団が口論しているとき、西鉄ホーム中央口より、同入口のピケ隊一五、六名が応援のため入店し、課長ら一〇数名と約二〇分押問答した末、外に出た。

午後三時頃、支援労組のサンドイッチマン四、五名が中央口から入店し、これを阻止しようとする課長ら一〇数名が交通公社前で出るように押問答して対峙した際、中央口のピケ隊二、三〇名が走り込んで、サンドイッチマンを応援し、険悪な状態が約二〇分間つゞいた。サンドイッチマンは結局課長らの阻止を押しきって店内を廻り、ピケ隊は入口に戻った。

午後六時頃、前記認定のとおり、一階薬品売場前でサンドイッチマンと課長団とが対峙したときにも、中央口、東側口のピケ隊の男子多数が店内に入り込んで、サンドイッチマンを応援し、この間、入口のピケ隊は入口にむらがって労働歌を歌って声援していた。

なお、午後四時頃、北側口から支援労組員三、四〇人が旗竿をもって入店し、そのうち一部がエレベーターに乗って上の階に昇ろうとし、課長団と言い合いをした際、売店口から応援のためピケ隊員が店内にはいり込んだことは前記認定のとおりである。

(3) 八月五日

午後六時頃、サンドイッチマン五、六名が、東側口案内所付近から一階店内を徘徊していたが、ちょうどそのとき、前記認定のとおり北側階段を通り、サンドイッチマン多数が上の階より降りてきてこれと合流し、一階を徘徊しはじめたため、これを中央口から店外に退去させようとする会社側課長団と一階交通公社前で対峙した際、中央口及び売店口などからピケ隊多数が入り込んで、サンドイッチマンに応援し、警官の勧告により、いったんピケ隊、サンドイッチマンは外に出たかにみえたが、しばらくして後、店内に残留していたサンドイッチマンらが再び一階店内を徘徊し、中央口から出ようとして交通公社前に回ってきたところ、これを店外に押し出そうとする課長団と再び交通公社前で対峙し、その際中央口からピケ隊員多数がはいりこんでこれを応援し、再び警官の勧告により、ピケ隊、サンドイッチマン全員が退出し、混乱が収まった。

なお、この騒ぎの際、人混みに押されて薬品売場のガラスケース等が破損するおそれも生じたので、会社側があわててこれを引っ込めるという事態も生じた。

(4) 八月六日

午後三時及び午後六時頃一階でサンドイッチマンと会社側課長団とのこぜりあいが起きたとき、午後三時頃のときには中央口から、午後六時頃のときには中央口及び東側口から、それぞれ約一〇数名が前日と同様入店し、前日同様会社側と、主として口論ではげしく対立し、約二〇分していずれも警官の勧告により解散した(午後三時頃、中央口附近に入店していたサンドイッチマンを会社側課長らが店外へ出そうとしていたことは当事者間に争がないところである。)。

なお、午後三時頃のこぜり合いの際、ちょうど、買物をしていた顧客が人混みに押され、靴をふまれるとか、売場ケース上の陳列台が破損される危険が生じたため、売場ケースを引き下げるといった事態も生じた。

以上の事実が認められる。

≪証拠省略≫中、店内で、闘争委員や、サンドイッチマンらと会社側課長団らとが対峙した際、各出入口のピケ隊が隊伍を乱したり、入口に殺到したり多数が店内に走り込んでサンドイッチマンらを応援したことはない旨の記載部分は前掲措信しうべき証拠に照らして信用できない。

なお、≪証拠省略≫によれば、八月四日、午後一時頃、東側口において、熊谷闘争委員と被告会社の吉原課長とが入店をめぐって口論しているのを、会社人事課梅野綾男が写真撮影したところ、これを怒った右熊谷が、フィルムの返還を要求して梅野を追いかけ、北側口附近で吉原課長らとその返還をめぐって口論していたことが認められるが、その際、北側口よりピケ隊員一〇数名がどっとなだれ込んだとの被告主張に沿う≪証拠省略≫は、≪証拠省略≫に照らしてにわかに信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(五) 領収書事件について

≪証拠省略≫を総合すれば、次のような事実が認められる。

八月五日午後三時すぎ全農林、全逓、市従連、全自労等支援労組員約一四、五名が、それぞれ二、三名あるいは四、五名一組になり顧客を装って入店し、各階にわかれて買物をし、会社がレシートを出したら社長印のある縦書の正式領収書を要求するという行為を一せいに行ったため、会社側は処置に窮し、その間、店内でレシートは正式領収書の代用になる旨を放送したが、なお、しつように正式領収書を要求し、一階売場では、一〇円の安全かみそりの刃一枚を買って配送を要求したりする者があり、地階売場では、アメ玉を一個買い、正式領収書を要求し、店員がこれを断るや返品するといったことが行なわれた。

そのため、会社側では、一時、正式領収書が必要な者はレシートと引換えに、一階商品券売場前でこれを渡す旨放送するという措置をとった。

また、同日午後五時過ぎ、全日自労女子組合員約五〇名が地階にはいり、菓子売場、乾物売場、海産物売場等に一〇名位ずつに分れ、各々価格一〇円位(たとえば、チョコレート一個、そうめん一把、卵一個ずつなど)の買物をしたうえ、係員がレシートを渡すと、大声で社長印のある正式領収書を要求し、会社側は店内放送でレシートが正式領収書として通用する旨を放送する一方、課長、主任、係員らが繰り返しその旨説明しても容易に納得せず、「労務者だから領収書をくれないのか。」などとわめいてしつように正式領収書を要求して売場を去らず、遂にこれが貰えないと決まるや、更に半数位の者は買った品物をいらなくなったからと言って返品を要求し、また、なかには売場をかえて同じことを繰り返し、その間、リーダーとおぼしき者が、「岩田屋はサービスが悪い。」「買物をしても領収書をくれない。」などと演説していたが、午後六時少し前引揚げた。

この間、これらの売場は騒然となり、一ぱいの人だかりがし、一般客は寄りつけない状態であった。

原告は、右領収書事件のうち、後者については、全岩労の全く関知せざるものである旨主張するので、この点について判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、八月四日午後、かねて組合側から申し入れていた団体交渉の再開を会社側が拒絶したが、県総評の常任幹事草野薫は同事務局長豊瀬禎一に対し、争議が解決しないのは第二組合が就労しているのがその大きな原因であり、この際従来の方針を変えて岩百労に説得工作をし協力を求めるのが争議解決の早道であり、全岩労の組合員が店内にはいると紛争が生ずるといけないので、支援労組員が店内で買物をし、岩百労従業員と接触する契機をつかみ、その際、領収書をもらうことにして岩百労従業員らと接触する時間をひき延ばし、その機会を利用してこれに対し説得工作を行なってはどうかとの提案をし、右豊瀬もこの戦術を試みることに同意し、原告三重野正明ら全岩労幹部三役にその了解を求めたところ、同原告は会社側とのトラブルが生ずる危惧をいちおう表明したものの、結局これを了承したので、右草野は、翌五日午後、教育会館に全農林、全逓、市従連、全日自労等支援労組員ら一四、五名を集め、目的を説明し、実施方法につき指示を与えたうえ、買物代金として一人ずつ一〇〇円を手渡して前述のとおり午後三時すぎより、二、三名あるいは四、五名が一組となり顧客を装って入店し、各階にわかれて買物をし、会社がレシートを出したら、社長印のある縦書の正式領収書を要求するという行為を一斉に行なったところ、これを新戦術といち早く察知した会社側が店内放送で、レシートが正式領収書の代用になるから、正式領収書は発行しない旨各売場に伝えたので、その後は領収書を要求する支援労組員とこれを発行できない旨拒む店員との押問答に終始して、説得の機会が得られ難く、当初期待したほどの効果を上げるにいたらないのみならず、予期したごとく紛争のもととなり、弊害のみ増大するおそれがあったので、その時限りで一切取り止めることをその日の闘争委員会できめ、同日夕刻以後はこれを行なわなかった。

ところが、支援労組員として右領収書請求行為を行なった、全日自労の一組合員が、当日午後四時ごろ全日自労の集会において、岩田屋における争議状況、支援状況を報告し、その中で右戦術に触れたところ、その日の午後五時頃、自由労務者の婦人達が、全岩労に協力すべく、全岩労とは全く無関係に、自発的な意思で、地階売場に多数赴き、前記認定のとおりの行為を行なったもので、原告三重野正明ら全岩労三役および支援労組の指導者である豊瀬、草野らは、翌日の新聞報道によってはじめてこのことを知ったものであることが認められる。

もっとも、≪証拠省略≫中には、この前日すでに、正式領収書を要求する者があり、地階売場では五、六名がポーズ二個ずつ買い、係員がレシートを渡したのに対し、正式領収書を要求し、お買上明細書を出したところ、しばらくして鐘ヶ江闘争委員が領収書があるから返品するとして、なまものは返品を認めない売場の方針を知りながら返品を迫った旨、五日二回目の際には、全日自労女子組合員らは支援労組のリーダーに率いられていたが、原告芳井が一団のリーダーと話していた旨、さらにはすでに争議通告前三重野正明委員長が一階化粧品雑貨売場の主任に対し、安全かみそり一枚買っても正式領収書を要求すれば発行して呉れるかと問い合わせたことがある旨の記載ないし供述があり、もしこのことが事実そのとおりだとするならば、前記認定の店内での具体的な領収書請求行為と合わせ考えるとき、これは顧客に対する不買の説得や岩百労組合員などに対する争議協力呼びかけを目的とするピケッティングやサンドイッチマン、旗竿もち込みもしくは労組員らによる店内の宣伝活動等とは全く異なり、専ら被告百貨店の営業活動を積極的に妨害する意図で、予め周到に計画されたうえなされたものと解せざるを得ない(事実、二回目の行為の際には、岩百労に対する説得活動らしきものがなされたと認めうる証拠は全くない)ところ、真実その意図に出たものだとすれば、前記認定の事実に徴すると、それなりに相当の効果をあげえたのであるから、六日以降も継続して実施すると見るのが相当と解されるのに、六日以降はこの戦術は全くとられていないことからみても、当初から専ら会社の営業を妨害するだけの意図で実施されたとは解し難く(もっとも、領収書請求戦術に対しては、会社から翌六日全岩労に対し悪質な営業妨害だとして厳重に抗議する旨の通告書が出されており、あるいは違法争議行為として責任を追及されることを恐れて、六日以降はこの戦術をとりやめたと解することも不可能ではないけれども、他の争議手段に対しても、同様の抗議や禁止の通告や掲示がなされているにもかかわらず、これらの手段については会社の抗議や禁止を無視して、その実行が継続されているところからすれば、かかる見解にも賛成しがたい。)、やはり、前記認定のとおり、当初岩百労所属の従業員らに対して説得工作するきっかけを作り出す手段として実施してみたところ、所期の目的をあげえず、予期したごとくそれが紛議のもととなり弊害のみ大きいことをおもんぱかって、その日限りでとりやめられたものと認めるのが相当であり、そうだとすれば全く説得活動を伴わない二回目の戦術はおのずから全岩労とも支援労組とも無縁なものといわざるを得ない。

さらに四日すでに領収書戦術が行なわれていた旨の被告主張に沿う≪証拠省略≫は、前者においては八月四日商品券売場においてレシートと引換えに正規の領収書を渡すようにしたが、引換えを要求する者の列ができ、かえって騒々しくなったので、五日には、レシートが正規の領収書になる旨説得するよう方針を変更したということであるのに、後者においては、五日になってはじめて商品券売場に引換えの場所を作ったとなっており、前後一貫せずにわかに信用できないし、四日の原告鐘ヶ江の行為や五日の二回目における原告芳井や支援労組のリーダーの行為に関するその他の証拠についても、≪証拠省略≫にも四日のことは全く触れられていないことに照らしてにわかに信用できず、他に八月四日領収書戦術が行なわれたこと、および八月五日の二回目の領収書戦術が全岩労またはこれと協力関係にある支援労組員が、全岩労と連係のうえ行なった争議行為であることを認めるに足りる証拠はない。

(六) 店内での宣伝活動

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

争議期間中八月三日ごろから争議参加者とくに百貨店関係の支援労組員らが店内にはいり込み、岩百労を脱退せよ、全岩労へ復帰せよ、一緒にストに参加しようなどのビラや脱退届を持ち、就業中の従業員にこれを手渡したり、あるいはケースやレジの上に置いていったり、ガラスケース越しに又は商品ケースの内側に入り込んで、岩百労従業員らに復帰を呼びかけたりした。これらの行為は、とくに八月六日および七日にかけて数多く行なわれた。これらの行為は前述のサンドイッチマンによっても行なわれた。

なお、≪証拠省略≫には、みぎ説得工作は、売場に混乱状態を作り出し、顧客に対するサービスの低下をはかり、被告の営業を妨害するとの作戦に基づいて行なわれた旨の記載部分があるが、にわかに信用しがたい。

また、≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

八月三日ごろから毎日支援労組員らが腕章をつけたまま、あるいは腕章をはずし顧客を装って中にはいりサンドイッチマン同様買物客に買物をしないよう協力を呼びかけたが、中には、商品ケース前で品物を選択中の買物客にすり寄って、しつように買物をやめるよう呼びかけたり、嫌味をいって客を不快にし、又は困惑させて、買物を断念させるような行為もあった。

すなわち、八月五日ないし六日ごろ、一階ネクタイ売場で婦人客がネクタイの選定中、客を装った争議参加者がすり寄って「これは似合うばい。あんただれにやるとな。」などと嫌味をいい、客をいたたまれなくしたり、八月六日二階下着売場で争議参加者が商品ケースをのぞいて品定め中の一婦人客に近づき、肘で押し、「岩田屋は高いからよそで買いなさい。」と呼びかけたが、客がこれを無視して店員に品物をとってくるよう依頼したところ、「協力しないのですか。どこでも買えるではないか。」などと言ってつきまとうので、客は不快感を覚え遂に購買の意欲を失った。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(七) 会社従業員に対する暴行、脅迫、侮辱等

被告はまた、本件争議期間中、争議参加者によって、会社課長らに対し、種々の暴行、脅迫がなされ、又は侮辱的言辞を投げかけ、その名誉感情を害することが行なわれた旨主張する。

そして、もとより本件においては、原告らの本件争議における責任が問題とされているのであるから、会社従業員に対する暴行等の行為についても、それが原告らの企画、指導のもとに組織的に行なわれたとみられる場合又は原告ら自身によってなされた場合はじめて問題となりうるところであるが、その点は暫くおき、まず被告らの主張するような違法な所為があったかどうか検討する。

しかして、≪証拠省略≫中には、被告会社の吉富俊吾がなだれ込んだピケ隊員から腹をぽかぽか突かれた旨、同井上秋雄がコンコース口の階段に坐り込んだ争議参加者から両足首を掴まれた旨、同郡巌が旗竿をもったままエレベーターに乗ろうとした争議参加者を止めたところ、こぶしであごを叩かれた旨および高島次長が芳井闘争委員と平田闘争委員に二人がかりでガラスケースに押しつけられた旨の各記載部分があるが、これらはいずれも確たる裏付けを欠きにわかに信用しがたく、また、熊谷闘争委員がフィルムの返還を要求して逃げる会社側職員を追いかけまわしたこと前記認定のとおりであるが、それだけでは暴行というには値しない。

また、争議参加者が、会社課長を小馬鹿にするような炭坑節等の替え唄を歌ったことは前記認定のとおりであり、確かにこのような歌は穏当であるとはいえないにしても、当時はストライキ中であり、全岩労組合員らが一時的であるにせよ会社の指揮命令関係から離脱していることを考慮すると、ただちに規律違反の行為であって処分に値するものということを得ないし、その他の行為についても、それ自体の態様からして、ただちにつるし上げないし脅迫に該当するものとは解し得ない。もっとも、≪証拠省略≫中には、八月四日午後、平田闘争委員が三浦課長に対し「のかんと怪我するぞ。」などと罵声を浴びせて、同人を押しのけた旨の記載があるが、右記載は争議後数年を経てはじめてなされたものであり、他に確たる裏付けもなくにわかに信用できない。

他に、争議参加者が会社従業員らに対し暴行、脅迫等の違法行為をなしたことを認めるに足りる証拠はない。

なおまた、被告は争議団は顧客に対しても暴行、脅迫、侮辱行為等をした旨の主張をもなしているが、後述(四の6)のとおり、前記の会社就業規則第八二条二号の「他人」とは会社従業員を意味し、顧客など第三者は、含まれないと解すべきであるから、仮りに顧客に対し暴行、脅迫などがなされても、その所為は就業規則の「他人に対し暴行、脅迫を与えたとき」には該当しない。というべきである。もっとも、顧客に対しかかる行為が争議行為中になされれば、それは違法な争議行為となりそれが意図的、組織的に行なわれれば争議行為が全体として違法となり、したがってこれらの争議行為をなした従業員の所為が前記就業規則第八一条第六号の「故意又は重大な過失によって会社に損害を与えたとき」に該当することになるが、この点については、次の争議行為の正当性の項において判断する。

四  争議行為の正当性

1  ピケッティングについて

(一)(1) 上記認定のごとく、本件ピケッティングは専ら被告百貨店に商品購入等の目的のため出入りしようとする顧客(一般消費者)のみを対象とするものであり、ボイコット(いわゆる第一次ボイコット)に伴うピケッティングの性格をも有するものと解しうるが、かかるピケッティングに際し、暴行、脅迫など人の生命、身体の安全を脅かすような行為、あるいは、暴行脅迫に至らない程度でも、相手方の判断の自由を奪い、自由意思を制圧するような行為、または説得活動にもかかわらず、あくまでもピケラインを通過しようとするものの入店を、人垣を作ったり、スクラムを組んだりするなどの方法により物理的に阻止する行為をすることは、暴行の行使について刑事上の免責を認めない労組法第一条第二項の規定などに照らし、正当な争議権の範囲を逸脱し、顧客の購買の自由を不当に侵害するものとして許されないところであるが、一般に労働組合がストライキに際し、その実効を減殺するおそれがある者の事業施設への入構を阻止するため、その統制下にピケッティングを実施することは、争議権の行使として法的に保障されているところであり、本件ピケのようにボイコットに伴うピケの性格をも伴せ有するものとしても、その理を異にしないと考えられるから、組合などの争議団が単に言論による説得活動をなし、それによって相手方が翻意して入店を断念し、または、争議団の団結力の示威によって顧客が心理的威圧を受け、入店購買することを諦めたとしても、それが言論による説得の実を失わず、または、実質的に相手方の判断の自由を奪い自由意思を制圧するまでにいたらない以上、それを直ちに不法視することはできない。

また、説得が相当と認められるかぎり、説得に要する合理的な短時間の間、通過しようとする者を阻止することがあっても、その阻止が暴力、脅迫等の違法手段にわたらず、社会的に相当と認められる手段によるときは、たとえそれが一見するところ、実力による通過の阻止と見られるような場合であっても、それが説得に要する合理的な時間を大幅に超過することなく、また説得に応ぜず、あくまでもピケラインを通過しようとする者の通過を認める建前で行なわれるピケッティングであるならば、なお平和的説得の範囲内のものであり、正当なピケッティングというべきである。

けだし、説得活動はもともと、説得する側と説得をうける側に顕著な意見の対立がある場合に何らかの合意点を見出すことを目指して行なわれる活動であり、意見の対立懸隔が大きければ大きいほど説得は困難であるが、その困難を予想しつつも一応の説得を試みることは自由であるから、はじめから耳をかさず、しゃにむに割って入ろうとする者に対して、一時的に説得可能な態勢にひき戻すことを目的として通過を阻止することは、説得のための阻止であり、いまだ言論による説得の実体を失わないものということができるからである。

(2) この点に関し、被告は、およそストライキの本質は、労働者が団結して、その持つ労働力を利用させないことにあり、しかして、ピケ本来の目的はこのストライキにあたり、組合員の団結を確保し、かつ勢力を使用者に対し示威するとともに、戦列を離脱して就労せんとする組合員に対し、その翻意を促す機会を与えることにあるところ、本件の場合は、純然たる第三者たる顧客のみを対象とするピケであり、かかるピケは争議行為の正当な範囲を逸脱するものとして違法であり、かりにかかるピケが許されるとしても、顧客は購買の権利ないし自由を有するのであるから、これに対する働きかけの方法としては、原則として一般的な協力の呼びかけないし穏和な説得以上にでることは許されず、その説得も厳格に解せざるを得ず、またピケラインも顧客に対し心理的威圧を感じさせず、顧客の出入りの妨害にならない程度の人数が出入口に人垣を作る程度のものでなければならず、団結力の示威により顧客に心理的威圧を加えることなどは到底許されない旨主張する。

しかし、右のような見解にはにわかに左袒することができない。なんとなれば、憲法は労働者に対し団結権、団体交渉権のほか団体行動をする権利(争議権)を認め、労働者が団結の力によって、使用者と対等の立場において自主的に労働条件を決定できるよう保障しているが、争議権は団体交渉を労働者の団体のために有利に展開せしめるべく、労働者が団体としての統一行動のうちに、使用者の労務指揮権を排除することによって、正常な業務の運営を妨げる集団的現象を展開する権利であって、ストライキは労働者が労働組合ないし労働者の団体の指揮のもとに統一的に労務の提供を拒否する行為として争議行為の典型をなすものではあるが、憲法は争議権をスト権に限って保障していると解すべき理由はさらになく、労働者が団結して使用者の正常な業務の運営を阻害する行為(争議行為)のうち、労働者の団体が、その地位の向上という目的を達成するため、社会通念上相当と認められるような手段、方法によるものは、正当な争議行為として、憲法はこれを保障しているというべきであるからである。

そして、どのような争議行為をもって正当とするかは、集団的労働関係の容認を前提とする憲法その他の実定法規の規定、その精神など現行法秩序全体との関連において、総合的に、具体的場合につき判断せられるべく、結局は健全な社会通念にしたがって決定されることになる。

(3) しかして、一般にピケッティングはストやボイコットなどを実効あらしめるために見張りなどをする行為であって、労働者がその仲間の裏切りや、使用者などによるスト破りを防ぎ、あるいは一般公衆に対しスト中の労働者への同情ないし同感を喚起することなどのために、職場への出入りを見張り、あるいはストへの参加、協力、同情を求める行為であって、それ自体独立の争議行為というよりは、ストなどと表裏一体をなし、これを実効あらしめるためのもの、あるいはこれに随伴するものであるといわれているが、それが正当な範囲内のものである限り、たとえそれが、第三者に向けられたものであっても組合の正当な行為となるものというべきである。

なんとなれば、憲法の保障する労働三権は、直接には労働者と使用者との関係を規律するものであり、組合が争議を行なっているからといって、そのことの故に、使用者の営業の自由はもとより、顧客の購買の自由は当然に制限されるべきものではないにせよ、これらの自由といえども労働者の争議権に優越することを主張しうる地位にあるものではあり得ないから、組合がストライキを実効あらしめるため、ピケッティングを組織し、平和的説得ないし団結力の示威等により第三者である顧客に対し購買行為をしないよう協力を要請し、そのことによって顧客が心理的な威圧を受け、これを断念し、あるいは購買行為のための出入りに若干の不便を生じたとしても、その方法が暴力や積極的な物理力の行使を伴わず、防衛的なものである限りそれは憲法が労働者に争議権を保障した結果として、又は国民一般に対し保障されている表現の自由の効果として、社会的に正当なものとされるピケッティングの反射的効果にすぎず、第三者もかかる不利益ないし不便を受忍すべきものと解されるからである。

(4) そして、顧客が購買の自由をば正当なピケッティングに優越するものとして主張しえず、これと調和し得る限度においてのみ、その自由を行使しうるものである以上争議行為の第三者たる顧客はピケッティングが正当である限りこれを尊重することを要請されるから、顧客はもとより本件争議におけるごとく縦に張られたピケラインのスクラムを脇から破って入店するような自由を有するものではない。したがってピケ隊がピケ破りをする顧客の入店を阻止するため実力を行使したとしても、それが積極的な物理力の行使にわたらず、防衛的なものに終始するかぎり、これを正当とみることができるのみならずまた出入りの不便不利益ないしはピケ隊の説得活動、示威行動などに対する反撥等から、顧客がその憤懣をピケットラインを守る労組員らになげかけ、ために労組員との間に紛議混雑を生じたとしても、そのことの故にただちに争議行為を違法視すべきではない。

ことに、被告会社は百貨店であり、周知のとおり、百貨店営業においては商品の豊富さや品質の良さを誇示するとともに、店内の行届いた設備、店内の華やかな雰囲気、商品ケース等のかざりつけの工夫あるいは店員の宣伝活動など、諸々の手段により入店客の購買意欲をそそりつつ、販売実績をあげることを主要な営業方針とし、したがって、百貨店の顧客と称するものも、当初から特定の商品の購買を目的として入店するものばかりではなく、商品ケースを見ながら前記の諸販売手段により購買意欲をそそられつつ、自由に商品を選択する者も多くを占めている。

そうだとすれば、たとえば、病院におけるストライキに際して組合がピケッティングを張るような場合には、外来患者や面会人が病院内に立ちいることは、その権利行使もしくは法的利益享受のため不可欠の前提であり、またこれらの者がピケッティング実施中にかかわらず、病院施設内に立ち入ろうとする目的は客観的にみて相当であるから、これに対する争議権の行使も相手方のかかる立場と矛盾しない限度においてのみ許容され、その手段、方法も厳格に解さねばならないと言い得るとしても、百貨店営業およびこれを利用する顧客には右に述べる程の特段の事情はなく、かえって顧客の大部分は被告会社といまだ契約に入っているわけではなくむしろ、労働契約により就労の自由を有する第二組合員よりも施設内に立ち入る利益に乏しいのであるから、顧客の自由を必要以上に重視して、他の生産企業の争議におけるよりも厳格な平和的説得に限らねばならないとする理由は乏しいというべきである。

(二) そこで本件ピケの正当性について考える。

(1) 全岩労闘争委員会および支援団体の本件争議行為における基本方針は、争議行為としてストライキを行ない、ストライキの実効を挙げるためピケッティングをはるが、これは岩百労所属の従業員や、問屋関係の就労者を対象とするものではなく、店の各出入口に、入口の幅に両側に列を作って通路を開き、専ら顧客に対する呼びかけによって、その協力を求めるため、通路として最低二人通れる幅をあけるというものであり、前記認定のとおり、実際ピケ隊は争議期間中各入口の左右両側に向き合って立ち並び、縦のピケットラインをつくり、この隊形において向き合う列の長さはおおむね入口から七、八名ないし一〇名位であったから、この列が当初の方針どおり遵守されているものであるならば、もとより顧客の入店を物理的に阻止するものではなく、またその存在自体によって顧客が入店するかどうかの意思決定自体を抑圧し、物理的阻止と同一視せられるべきものでもない。もちろん顧客の中には、かかるピケットラインの存在自体によって心理的圧力を感ずるものがあるとしても、上記説示のとおり、一般的に顧客の自由意思を抑圧するほどのものにいたらない以上、このこと自体は団結力の示威の作用として正当な争議手段というべきである。

また、この隊形のピケを通って入店しようとする顧客に対し、ピケットラインの先端にいる労組員らが近寄ってストライキに同情を求め、買物をしないよう協力を呼びかけ、さらに呼びかけを無視して入店しようとする客の前に立ちふさがり、言論による説得により顧客の入店の意思を翻えさせようと試みることも、立ちふさがる行為自体を形式的にとらえると物理的阻止とみられないではないが、最終的には説得に応ぜず入店しようとする者を物理的に阻止するものでない限り、一時立ちふさがったり、説得が多少しつようにわたることがあるとしても、その言論が社会的に相当とみられる限度をこえ、脅迫など相手の自由意思を抑圧するものであったり、いちぢるしく相手を侮辱、誹謗し、相手の名誉感情を傷つけるものであるような場合を除き、平和的説得の範囲にとどまるものとして正当であり、さらに、これらの説得を無視して、押して入店しようとする者に対してピケ隊が気勢をあげ団結力を示威し、これによって顧客が心理的圧力をうけることがあるとしても、それが脅迫行為としか評価できないような態様のものであったり、暴力が行使されたり、ピケの両側の列が近よってその幅を狭め、顧客の出入を物理的に不可能ないし困難とするような事態を招来しない限り、なお争議手段として正当というべきことはすでに説示したところから明らかである。

(2) そして、争議期間中説得班がピケの先端の方に列を離れてプラカードを持ったり、メガホンで一般通行人に対し、スト協力を呼びかけたり、ビラを配ったりしていたほか、入店しようとする客に対しては、これらの者が、その前に立ろ塞がって、スト中だから買物をしないで欲しい旨協力を求めたことは前記認定のとおりであり、その呼びかけや説得の際、用いられた「岩田屋の食料品は高い。」とか「岩田屋の食料品は腐っている。」「サービスが悪い。」、「品物が悪い。」、「岩田屋の食料品には赤痢菌がはいっている。」、「食堂には赤痢菌がいて危ない。」など積極的に被告百貨店の悪口をいった行為(いわゆる開口サボタージュ)は、それ自体被告の名誉信用を毀損するものとして、それが現実に被告百貨店の名誉、信用を毀損したかどうかを論ずるまでもなく不当な業務妨害であり、明らかに正当な争議行為の範囲を逸脱するものと解すべきである(ただし、そのために、買物に嫌気がさし、買物を断念した顧客がいたとの証明は全くなく(もっとも、≪証拠省略≫中には、赤痢菌がいるといわれ、入るのをためらったかのごとき供述記載があるが、それにもかかわらず、あえて入店しようと試みていることが認められる。)。かえって、ピケッティングの項に掲げる証拠によれば、かかる呼びかけを耳にした顧客らは、これらの言葉を一向に気にする風もなく、そろって入店しようと試みていることが窺われる。すなわち、争議団がなした上記の言説は、一般人からみて、その風説が虚偽であることが容易に看破できる程度のもので、嫌がらせとして言っているにすぎないことが、ただちに判断できる程度のものであり、信用毀損、業務妨害罪(刑法第二三三条)に該当する程度のものではなく、軽犯罪法第一条第一項第三一号の「他人の業務に対して悪戯などでこれを妨害した者」に該当する程度のものと解される。したがって、かかる言動により被告百貨店の名誉、信用が実際に毀損されたことは殆どないといいうるから、かかる言動をなし、又はなさしめた者の責任の軽重を判断するについては、この事情をもしん酌すべきである。)が、それ以外の文言については、例えば「労働者の敵はおはいり下さい。」とか、「労働者の敵にならんでもよか。」とか「岩田屋の廻し者じゃないですか。」というのも、それのみをとり上げてみると相手を侮辱、誹謗するものであるといえないこともないけれども、当該事項認定の項に掲げる証拠を検討してみると、それらはいずれも当初よりの呼びかけないし説得の文言として用いられたものではなく、争議に対して敵意ないし反感をいだく者と、説得班との口論や押問答のすえ、発せられたにすぎないことが窺われるから、穏当さに欠ける点はあるが、具体的状況に照らしてみると、侮辱ないし名誉を毀損するものとして、いちがいに正当性の範囲を逸脱するものとは断定できない。

その他北側口や東口で用いられた「入口は西鉄ホーム側です。」との文言も、顧客に対し、当該入口からは入店できないような感をいだかせないとはいえないから、これらの者に対し一時的に出入口をふさぐ行動をとったのと同一視すべきであるといい得ないでもないけれども、当該入口から果たして入店可能かどうかは一見すればわかることであるから、不当であるとはいい得ても、相手方を欺罔して入店を妨害する行為とみて、物理的な出入妨害行為と同一視されるべき違法な言動とみるのは相当ではない。

(3) また説得行為の態様についても、顧客の前に立ち塞がったり、取り囲んだりするなどの行為がみられるほか、説得の仕方においてややしつようにすぎると感ぜられるものも中には存するけれども、これらの行為自体ただちに、被説得者の自由意思を束縛するものであるとは解されないし、ピケッティングの項掲記の証拠によって窺われるかぎりにおいては、説得行為が度を過ぎて、もはや相手の自由意思に働きかけるという限度を超え、つるし上げ(脅迫ないし威迫)にわたると見るべきものがあったとはいえないから、結局説得工作それ自体は平和的説得の範囲内にあるものとして正当である。

次に、ピケ隊が入店しようとする顧客に対し、わっしょいわっしょいと気勢をあげたり、スト協力を呼びかけたり、労働歌を高唱したことは前記認定のとおりであるが、このこと自体は団結による示威行動として、正当なものと考えられる。

(4) しかしながら、時にピケットラインが雑然として入口がわからなくなったり、幅が狭まって出入りに困難を来たしたりしたことは前記認定のとおりであり、このことが、意図的、組織的になされたかどうかはともかくとして、現に顧客の出入りを物理的に妨害する状態を作り出している以上、そのこと自体を捕えてみるかぎり違法といわざるを得ない。ただし、西鉄ホーム側の地階口、売店口でピケの列が湾曲され、そのことによって入口がわかりにくくなったことは前示のとおりであるが、これは、交通規制のため、警官の指示に基づいて行われたものであるから、結果として、顧客の入口に多少の不便を来たすことがあったとしても、違法視することはできない。また、北側口に旗が立てかけられたことも前示のとおりであるが、証拠によると、別段顧客の出入りの妨げとなるほどのものとは認められないから、これまた違法とみることはできない(なお、旗竿ピケは本来ピケ破りを防いだり、ピケ隊列を規制するためになされたものであるが、ピケ隊が気勢をあげる際、これが前に押し出され、列が狭くなり、ために顧客の出入りの妨げとなったのであるから、その限りにおいて違法と解すべきことは前示のとおりであるが、旗竿をピケ隊が所持すること自体はこれが前記認定のような態様でなされている限りにおいては、顧客に対し威圧を与えるものとは解し得ないし(かかる事実を認めしめるに足りる証拠もない)、ピケ隊が意図的にこれを前に押し出し、客の出入りを妨害したことを認めしめる的確な証拠もないから、旗竿ピケそのものをただちに違法視するのは相当でなく、他の諸事情と合わせてピケ全体の正当性を考えるのが相当である。)。

さらに、説得の機会を得るために相手の前に立ちふさがったり、肩に手をかけたりすることをただちに物理的阻止と同一視することは相当ではなく、平和的説得の範囲に属すること前記のとおりであるが、すでに説得をふり切って、入店しようとする客に対して、労組員らが肩や腕のあたりをつかんで列の外に連れ出したり、バンドを後からひいて列の外へ出そうとしたり、洋服などの袖を引っぱったりする行為は、それが争議と関係のない第三者たる顧客に対してなされたものであることを考慮すると、たとえそれが軽微であったとしても、顧客の入店を物理的に妨害し、阻止するものとして、その行為に関する限りは、これを違法と断ぜざるを得ない。

(5) 以上のごとき違法行為が見うけられたとはいえ、

(イ) 前示のとおり本件ピケの当初の方針からして両側に列を作って顧客の自由な通行を妨げないよう二名通れるぐらい通路の幅をあけ、専ら呼びかけによって顧客にストライキに対する協力を求めるというものであり、そのため前記認定のとおりの指導、連絡体制がとられ、また毎日、スポーツセンター前に集合した際、ピケ参加者に必要な注意、指示が与えられていたこと。

(ロ) 同じく支援団体の現場の責任者である羽野透、鈴木義一らが常時ピケ全体の統轄をし、各入口の責任者である全岩労闘争委員、各支援団体の責任者を通じて必要な指示を与えるなどピケの指導に当ったほか、組合事務所に詰めていた三重野闘争委員長ら組合三役、および支援団体の総括者である豊瀬も随時ピケを巡回し時によっては、交通規制や危険防止のため派遣されていた警官と同道したうえ、現場の責任者を通じ、又は直接ピケ隊に対し、当初の方針が遵守されるよう必要な指示を与える等統制の保持に努めていたこと。

(ハ) 前記認定のとおり、交通規制や紛議防止のため警官が連日派遣され、ピケの付近に常駐し、又は巡回して一般通行人の交通の妨害とならぬようピケ隊列の長さや方向を規制したり、又はピケ隊やピケ破りとみられるものの間に紛議が生じたときは即時にこれに介入して紛争の防止に努めたり、さらにはピケ隊が店内に乱入した際などは混乱の収拾のため仲介にあたったりしているのに、ピケ隊列の幅の保持についてはともかく、客を列外に引っぱり出したりしたような場合においては、警官がこれに介入している形跡が殆んど見うけられないこと。また≪証拠省略≫によれば、同人が八月三日三重野闘争委員長と巡回した際、警察の目からみてとくにピケに問題とすべき点はなく、全体として整然たるものであったこと、が認められること。なお前記認定のとおり、八月五日、警察が争議の責任者立会いのうえ行なったライン引きも格別の意味をもつものではなく、争議団との話し合いのうえピケの長さや幅を現状どおり確認し、交通障害の防止や紛議予防の徹底を期したにすぎないと認められること。

(ニ) ≪証拠省略≫によれば、被告百貨店は、ターミナルデパートであり、その性格上いわゆるひやかし客が多く、ふだんから市内の他の同業店にくらべ客の歩止まりが悪いが、争議期間中は入店客は平常にくらべ激減したものの、売上高においては、現金売りについては、前年同期に比べ四割減程度にとどまったことが認められ、この事実は、是非とも買物が必要な客の入店はほぼなされているが、いわゆるひやかし客の入店が激減したことを推認せしめるものであること。もっとも、前記認定のとおり、連日ピケッティングは開店後になされ、閉店前に解かれており、したがってピケが張られ、解除される前後にある程度の顧客の入店があったこと、ことに八月四日から六日までの特別招待日の間は、かかる現象が多く見られたであろうことは推測に難くないが、被告の主張するほど、常時ピケ隊列が混乱し、出入口がない状態が続き、または顧客の入店を妨害するための熾烈な実力行使が行なわれピケッティングがなされている間、顧客の入店はほとんど不可能であったということであるとするならば、開店直後、閉店前にある程度の入店者があったというだけでは、売上減が前記の程度にとどまったことの説明が不可能であること(≪証拠判断省略≫。)

(ホ) ≪証拠省略≫によれば、争議期間中はほぼ連日どの時間帯のどの出入口についても、争議団の協力呼びかけにより入店を多少ちゅうちょすることはあるものの、立ち塞がられたり、入口を塞がれたりするなどの物理的障害に出合うことなく楽々と入店できた顧客も多数あることが窺われ、女、子供の出入りも、比較的多く見うけられたこと、前を通ったり新聞記事等で争議中であることを知りながら入店できると思って来店した者も多数あり、なかには争議期間中一度来店し、そのときの様子から入店できると考えて、再び争議期間中来店している者さえあること、争議期間中に店内で開催された女学校の同窓会、ダンス教師総会などが別段の支障なく行なわれていること。

(ヘ) 顧客として、入店するに際し、労組員らの説得工作、ピケ隊列の混乱、ピケ隊員などの妨害行為により障害があったとする者も多いがそれらの者も、結局、大部分は入店を果たしており、入店しなかった者のうちにも物理的阻止によってではなく、説得工作ないしピケ隊列の心理的威圧によって入店を断念した者もあり、押し出されたり、手を引っぱられる等物理的に入店を阻止された者は比較的少数にとどまると推認されること。押しのけたりかきわけたりして漸くはいったと称する顧客の供述記載を更に検討してみると、説得班が協力を求める機会を作るため、立ち塞がったりするのに対して耳をかさず、強引に押しのけて通ったのを、ピケ隊を押しのけたり、かきわけたりして漸くはいれたと称していると窺われる者もあること。また腕や肩口をつかまれたとか、携帯の傘を引っ張られたとか、バンドをつかまれたとか、いちおう争議団による物理的な入店阻止行為があったと認められる顧客の中にも結局そのまま入店を果たしている者も多く見うけられ、このことは阻止行動といっても比較的軽微なものにすぎないことを推認せしめること。なお、前記認定のとおり、顧客の中には争議行為に対する敵意、反感からわざとピケ隊にぶつかったり、横から入ろうとしたり、求めて口論をふっかけたりするなどピケ破り的行動もあったから、かかる阻止行動の中には、これに起因するものがないともいえないと考えられること。

(ト) 入店に際し、争議団から積極的に入店を阻止されたり、ピケの混乱により通路がなかったりしてようやく押しわけて入ったと称する顧客の供述記載中には、出店の際には、さしたる妨害もなく比較的楽に出られたとする者が多く、このことは、物理的には入店に際してもさしたる支障はないが、ただ説得工作やピケ隊の集団示威行為により心理的に入店しにくい状態があったにとどまることを推認せしめることなどの事情もある。

(6) そうしてみると、叙上認定の、顧客の入店に対する物理的妨害行動は、そのこと自体はもはや平和的説得ないし団結の示威の範囲をこえるものとしてピケッティングの正当性の範囲を逸脱したものと断ぜざるを得ないけれども、上記諸事情に照らすとき、これらの行為は、決して、計画的、組織的、かつ熾烈になされたものでもなく、また長時間にわたったわけのものでもなく、午後支援労組の参加者が加わって気勢の上った際、群集心理ないし争議の場という異常な雰囲気のもとになされた偶発的、一時的現象にすぎず、かつその程度も比較的軽微であったと認められるから、個々の行為自体を単なる行き過ぎとして看過すことはできないとしても、かかる行為の存在ゆえにピケッティング全体を違法ならしめるものではない。むしろ、前記認定のピケ全体の状況に照らすとき、かかる妨害行為や通路閉塞の状況は、ごく一時的な状況にとどまり、争議期間中を通じ、説得工作こそさかんに行なわれ、参加者が増加した際には、ピケ隊の気勢もあがったとはいうものの、ピケ隊はほぼ通路の幅を守り、押して入店しようとする客も大体は入店しうる状況にあったとみられるから、本件ピケッティングは全体としては平和的説得ないし団結力の示威行為の範囲にとどまるものとして正当な争議行為であると解するのが相当である。

(7) なお、サンドイッチマンらと課長団との対峙に際し、あるいは闘争委員らの入店に際し、各出入口のピケ隊が店内になだれ込んだ行為はピケ隊が計画的、組織的な争議行為として行なったものと認めるに足りる証拠はなく(もっとも、≪証拠省略≫には、そのころ事前に交番から争議団が波状攻撃をかけるから用心するようにとの情報があり、そのとおり閉店間ぎわ、全岩労闘争委員らの入店に呼応してピケ隊がなだれ込んだ旨の供述記載があるが、右は本件解雇に対する原告らの地位保全仮処分控訴審においてはじめてなされた供述であり、かつ、情報と称するあいまいなものに根拠をおくにすぎないから、この証拠だけでは店内乱入が予定の計画に則ってなされたものとは到底認め得ない。さらに、店内乱入の項に掲げる証拠によれば、店内乱入の際、三重野闘争委員長らが多数その場に居合わせたことが窺われるが、かかる会社側と争議団との対向関係が生じた場合、闘争委員らが、その職責上、会社側との交渉のためかけつけ、事態の収拾をはかろうとするのは当然のことであるから、このことからも、店内乱入が予定の計画に基づいて意図的、組織的になされたものと推認することはできない。)、これらの行為は、乱入の契機およびその後の状況からみて争議参加者らと会社課長団との対向関係から派生した一時的現象とみるべく、店内滞留も比較的短時間であったことに照らすと、むしろピケットラインの一時的崩れにすぎないとみるのが相当であり、これをもって、いまだピケッティングの正当性の範囲を逸脱したものとは断じ難い。

2  サンドイッチマンについて

(一) 八月三日から七日まで、いわゆるサンドイッチマン戦術が採られたことは、前記認定のとおりである。

しかして、前記認定のとおり、被告百貨店は、争議期間中争議参加者の立入りを禁止し、その旨の立札を各出入口に張りだしていたから、この禁止を無視してあえて入店しようとする者に対して、被告が施設管理権ないし業務管理権の作用としてこれを制止しうることはもとよりのことであり、かかる禁止行為に違背するものが、被告会社の従業員であるときは、たとえ争議期間中であっても、会社の規律を乱すものと評価されることもあり得よう。

そして、顧客がゆきとどいた設備と落ち着いた雰囲気の中で商品ケースを見てまわりながら、自由に商品を選択できるように配慮し、客の購買心をそそり、意欲をかき立てることを営業政策の基本とする百貨店営業の特殊性をも考慮に入れるときは、争議団が店内に立ちいって争議行為を行なうについては、それがともすれば、顧客の自由な商品の選択を妨害し、それはただちに、かかる顧客の買物の自由の上にはじめて成立する被告百貨店の営業を積極的に妨害することになるのであるから、かかる企業において、店内でとられる争議手段については、生産部門の企業におけるよりも、より慎重な配慮を必要とすることはいうまでもない。

(二) しかしながら、争議参加者が、店内に立ちいったからといって、そのことの不当性は暫くおき、ただちに顧客の買物の自由を侵害するものでも、また被告百貨店の営業の自由を侵害するものでもなく、前記のような百貨店営業の特殊性からいって、とくに被告百貨店はターミナルデパートであることよりして、入店客即買物客とは限らず、気がむけばなにか買うといった程度のいまだ購買の意志の明確に存在しないものが多数存在することは公知の事実であり、本件のように各出入口に顧客に対するスト協力呼びかけのピケッティングがなされたからといって、入店者のすべてがこれら協力呼びかけを押し切ってはいったものでもないこと前記認定のとおりであるから、ピケの存在も、いまだ、デパートの顧客に関する一般的事情を異ならしめるものではなく、したがって、前記認定のようなサンドイッチマンの風態で、店内を顧客の通行の妨害にならぬよう徘徊し、また顧客に不快感を与え買物の意欲を減退ないし、喪失させないような態様で、一般的にストライキ協力を訴えたからといって(顧客に対する説得の手段・方法において店外と店内とでおのずから差のあるべきことは当然であるが)、もし、その手段・方法が上記の限度に止まるものであるならば、それはいまだ平和的説得の範囲を超えるものとは考えられず、したがって、サンドイッチマン戦術そのものの計画実施を捕えて、これをただちに違法な争議行為と見るのは相当でない。

ただ、サンドイッチマンが客の通行を妨害するような態様で店内を徘徊したり、店内の雰囲気を破壊するほど大声で協力を呼びかけたり、さらに前記認定のとおり、すでに売場で商品の選択にとりかゝっている顧客の傍にまで行ってしつように話しかけ、購買を思いとゞまらせようとする行為は、著しく顧客に不快感を与えるものであって、もはや顧客の自由な意思に働きかけて購買を思いとゞまらせる説得の限界を越え、顧客にむしろ不当な圧迫を加えて、購買意欲を失わせて、購買行為を妨害するものであり、結局、顧客の自由な購買行為の上に成立つ会社の営業を積極的に妨害する行為と断ぜざるを得ない(なお、それ以上の積極的妨害行為が違法であり、会社の営業を妨害する行為であることは、とくに論ずるまでもない)。

(三) ただし、これらの行為があったことから、逆に、サンドイッチマン戦術の計画の当初から、かかる行為のあることを予期して積極的に会社の業務を妨害する意図をもって実施されたものと推認するのは相当でない。

けだし、≪証拠省略≫によれば、いわゆるサンドイッチマン戦術が採用されたのは、争議第二日目であるが、当初、支援労組員の一員が客の目に訴えてストライキへの協力を求める方法としてこれを案出し、独自にプラカードを作り、当初は「お買物はどこどこの店で」などと書き、後では「ストに深い理解と同情をお願いします。」「スト決行中皆様のご協力をお願いします。」などと書き改めて、被告百貨店の周囲をまわったり、後では、店内に入り二階をまわったりしたが、羽野透がこれを見かけて、これにヒントを得て、豊瀬禎一と実行計画を協議したうえ、三重野正明ら全岩労三役にサンドイッチマン戦術をとることを提案したところ、全岩労側は、当初店外はよいが、店内を歩かせることは会社側とトラブルを起こすおそれがあるとして、右戦術の採用に消極的態度を示したが、結局、人数を限定すること、客の通行の妨害にならぬよう歩くこと、直接買物客に呼びかけたりしないこと、買物客の邪魔をしないこと、会社側の挑発に乗ったりせず摩擦を避けることなどをサンドイッチマン実行者に徹底させることを条件にこれを実行することを承諾したこと、なお、全岩労組合員が入店する会社側との摩擦が生ずるおそれが強いので、実行は支援労組が担当することとして、これを実施することにし、具体的な実施計画は羽野透および鈴木義一に委ねた。そこで、羽野透、鈴木義一らは以後三日の日は全岩労組合事務所に、四日以降は教育会館に支援労組員らを集め、前記のような注意を伝達したうえ、これを、実行したこと、なお全岩労労組員は血気にはやった数人が組合の方針に反して、八月五日ごろの一日、前記認定のとおりサンドイッチマンに扮して店内に入ったことがあるほか、他の日にはサンドイッチマンに扮したり、これを案内したりして入店したことはないことが認められる(全岩労闘争委員や全岩労組合員が連日、サンドイッチマンになったり、これを案内して店内を徘徊した旨の≪証拠省略≫は、≪証拠省略≫に照らしてにわかに信用できない。)ところ、顧客に協力を呼びかけるというサンドイッチマン戦術本来の目的からいっても、実施を専ら支援労組に委ね、しかもこれが責任者の目のとどかない店内で実施されることからいっても、その他群集心理や会社との対向関係からしても、サンドイッチマンらが、全岩労闘争委員の当初の意図をこえて、個々の買物客に対してしつような呼びかけをしたり、それ以上の妨害行為に及んだりすることがあることは当然予期すべきであり(全岩労幹部もこれを予期しないではなかったからこそ厳重な条件をつけたものと思われる)、そうである以上、サンドイッチマンのなした違法行為につき、これが戦術の採用、実施を決定した全岩労三役らにその責任があると解すべきこと後記のとおりであるが、反面全岩労三役らが、違法事態の発生をおそれて、そのような事態の発生しないよう努力していることも認められるところであるから、結果的に実施に際して違法行為が行なわれたからといって、当初からかかる事態の発生をもいわば計算のうちに入れ、会社の業務を積極的に妨害する意図でこの争議戦術を計画し実施したものとまでは推認できないからである。

(四) なお、サンドイッチマンを押し出そうとする課長団と争議団が対峙した際、売場の混乱を招いたことは前記認定のとおりであるが、前記認定のとおり、店内の混乱は争議団の意図的、組織的行動によって惹き起こされたことを認めるに足りる証拠はないから、サンドイッチマンの退去要求を契機とする売場の混乱を積極的な営業妨害行為と解する余地はない。かりに会社が争議団の入店を禁止している以上、課長団がサンドイッチマンの退去を求めるのは当然の権利行使であるから、これを契機にして生じた売場の混乱とそれによって会社の営業活動が妨害されたという結果の責任は、サンドイッチマン戦術を採用し、混乱の原因を作出した争議団側において全面的に負うべきであり、したがってサンドイッチマン戦術の企画、指導等を行なった全岩労闘争委員らの所為は会社の業務を違法に妨害したものとして会社就業規則第八一条六号の「故意又は重大な過失により会社に損害を与えたとき」に該当するといいうるとしても、右戦術が会社との対向関係を計算に入れ、店内の混乱を生ぜしめる目的でなされたとの証拠はなく、争議参加者と課長団との対向関係から派生した偶発的、一時的現象とみられること、サンドイッチマン戦術そのものは、違法とみることはできないこと、店内の混乱は比較的短時間であったことなどを考慮すると、サンドイッチマンを課長団が押し出そうとしたことから発生した店内混乱を、争議団の会社に対する違法な営業妨害行為と即断するのは相当でない。

3  旗、または旗竿持込みについて

前項において説示したとおり、争議参加者が店内に立ちいって顧客に対しストライキ協力を呼びかけること自体は、それが相当とみられる態様で行なわれる限りは、なお顧客に対する平和的説得の範囲にとどまるものとして正当な争議行為と解するべきである。しかしながら、前示のとおり争議手段方法においても、また顧客に協力を求める方法においてもその許容される限度は店外と店内とでは、自ら差があり、店外においては顧客に対し単なる平和的説得だけではなく、集団の示威により顧客に心理的威圧を感じさせることがあっても、なお、正当な争議行為と解すべきであり、顧客の入店を物理的に妨害しない限り、ピケ隊が旗を立てたり、所持していても、それだけでは別段違法と解すべきでないが、店内においては示威行動により心理的威圧を加えることはもはや許容される限度をこえるものであり、原則として平和的説得以上に出ることは許されず、その説得も厳格に解せざるを得ない。しかるときは、支援労組員が、旗あるいは旗竿を店内にかついで入店し、通路を妨害するような形で店内をねり歩き、客に協力を呼びかけた行為は、呼びかけ自体の正当性はともかく、旗あるいは旗竿の持ち込みに関しては、その態様からみても、専ら示威によって顧客に心理的威圧を加え、買物を断念させようとする意図に出たものであると解するのほかなく、そうすると会社の業務を積極的に妨害する意図をもってなされた積極的業務妨害行為として、違法な争議行為と判断せざるを得ない。

しかしながら、他の争議戦術と異なり、旗ないし旗竿のもち込みは、全岩労闘争委員らが企図し、実行させたことを認めうる的確な証拠はなく(もとより、後述のとおり旗ないし旗竿のもち込みは闘争委員らもこれを察知していたものと推認されるのに、これを禁止していない以上、これを容認したものとしてその責任は免れないとしても)、したがって正規の争議戦術としてではなく、専ら支援労組員らが独断で行ったものとして、責任の軽重を判断するについてはこの点を配慮しなければならない。

4  領収書要求戦術について

領収書戦術が採用された当初の意図が、買物をし、領収書を請求する機会を利用して岩百労所属従業員に対して全岩労の行なっているストライキに対し協力を求めることにあったことは前記認定のとおりである。しかし、百貨店においては特段の事情のないかぎり、通常領収書を発行することのない(このことは、≪証拠省略≫によってゆうに認めることができる。)ことを熟知しているはずの前記全岩労闘争委員らには、かかる戦術を採用すれば、いかにその手段方法について慎重に配慮をめぐらしたところで、会社側ないし岩百労従業員らと全岩労との間に存する対向関係からして、ただちに会社側の激しい反撥を招き、これによってたゞちに争議団側と会社側との間の紛争を惹起せしめ、売場の混乱を生ぜしめるであろうことは、容易に予測できたにもかかわらず、前記全岩労闘争委員らは、あえてかかる戦術を採用し、支援労組員をしてこれを実施せしめたのであるから、かかる戦術の企画、実施自体、本来の意図のほかに、これに応接する従業員らの事務能率を引き下げ、または売場の混乱を惹きおこし、会社の業務を妨げる意図をも同時に包含してなされた積極的な業務妨害行為であり、まさに違法な争議行為といって差し支えない。しかして、右行為をもって、正当な争議行為を行なうことを意図していたのに、その実施の過程において、当初の意図したところをこえた行為が生起した場合と、同一視することはできず、買物をして領収書を要求するのは当然の権利行使であるとして正当化することはできない。

しかしながら、右戦術も専ら業務妨害のみを意図して行なわれたものではないこと、売場の混乱は、会社側がこれを争議団による新戦術とただちに見破って、逆に領収書の発行はできない旨の店内放送をするなど対抗措置をとったために拡大されたとみられること、五日の二度目の領収書戦術は全岩労ないし支援労組の意図と無関係であること、領収書戦術が岩百労に対する説得の機会を作るという当初の目的を達成するのには不都合であり、かえって、その対向関係から売場の混乱を招くという弊害の方が大きいということが判明した時点において、ただちにこの戦術をとりやめ、その後は実施していないこと等の諸事情は、この戦術を企図し、実施せしめた者の責任の軽重を評価するうえで考慮する必要がある。

5  店内における宣伝活動

前示のとおり、支援労組員や全岩労労組員が、会社側の立入禁止措置を無視して店内に入り込んだからといって、そのこと自体ただちに違法な争議行為となるものでもなく、また当初の争議方針は、就業前に店外において岩百労に対して説得をするという方針をとらず、専ら顧客に対し説得するということであったのを、途中で変更し、岩百労従業員らに対しても説得工作をすることにし、その方法として、就業前の説得の方法をとらず、すでに店内において就業している場所において行なったからといって、そのことによって話しかけられた相手がこれを拒否するのになおしつように話しかけて、その顧客への応待を困難にしたり、事務能率を低下せしめたというような事態が現実に発生すればともかく、岩百労に対する宣伝活動が、前記認定の態様程度にとどまるものであること、さらに≪証拠省略≫によって認められる岩百労従業員がもともと全岩労から脱退した者達であることや、本件争議突入前および争議期間中にも相当数の全岩労組合員が脱退して岩百労に走っていることをも考慮に入れるときは、支援労組員や全岩労労組員が就業時間中店内にはいり込み、岩百労従業員に対して、スト協力を呼びかけたり、全岩労への復帰を呼びかけたりするため、ビラを配ったり、話しかけたりした行為をただちに従業員の事務能率を低下せしめる目的に出た行為であり、会社の業務を積極的に妨害するものであると解するのは相当でない。しかしてこの点に関する被告の主張は理由がない。

6  まとめ

以上のことを要約すれば、ピケッティングは全体として正当な争議行為であるが、その際行われたピケ隊の出入口閉塞によってなされた顧客の入店阻止、客を引っぱって列外に連れ出す等の物理的入店阻止行動、呼びかけないし説得の方法としてとられた会社に対する悪口、サンドイッチマン等入店労組員らによる入店客の通行の妨害、商品選択中の客に対するメガホン等によるスト協力呼びかけ、嫌やがらせ行為、しつような説得活動、説得の方法としてとられた会社に対する悪口、領収書要求、店内への旗ないし旗竿持込みは正当な争議行為の範囲を逸脱し違法な争議行為と解せられる(サンドイッチマン戦術、右以外の店内宣伝活動は正当な争議行為であり、争議団の店内乱入もいまだピケッテイングの正当性の範囲を著しく逸脱したものではない)から、もはやこれらの行為は憲法によって承認された争議権の保障の埓外にあり、正当な争議行為とはいえず、したがって、これら逸脱行為を行なった者は、右違法行為について責任を負うべきである。そして、これらの行為は、正当な争議行為としてその違法性を阻却されない以上、会社に対する違法な業務妨害行為ないし名誉毀損行為に該当し、かかる行為をなすことは、たとえ争議中といえども、従業員として許されるべきことではないから、かかる行為を行なった者が被告会社の従業員であるならば、それは前記会社就業規則第八一条第六号の「故意又は重大な過失によって会社に損害を与えたとき」および同条第一二号の「その他前各号に準ずる行為のあったとき」に該当するものとして、その責任を追及されても止むをえない。

さらに、前記の違法行為の関係者が従業員であるときは、その行為の個別的態様によっては、前記就業規則第八一条第六号第一二号または第八二条第二号の「他人に対し暴行脅迫を与え又はその業務を妨害したとき」(右規定の趣旨は、就業規則第八一条、第八二条各号の規定と、就業規則の性格に照すと、「他人」には顧客は含まれず特定の会社従業員に故意に暴行脅迫を加えたとき、または故意に特定の会社従業員の個別的業務を妨害したときと解すべきである。)に該当する場合もあろうが、この点については各行為につき個別かつ、具体的に検討しなければならない。

五  本件争議における原告ら各自の責任について

1  争議行為全般の企画、実施、指導に関する原告らの責任

(一)(1) 違法な争議行為が行なわれた場合において、労働組合の執行委員らがその地位にあることから当然に使用者から違法争議行為の責任を追及されるべきいわれはないが、違法な争議行為を企画し、決定し、指導した労働組合の執行委員らがその責任を負うべきことは勿論である。

また、労働組合の執行委員らは、当該労働組合の機関として争議にあたり、当該労働組合が後に使用者らから違法争議行為の責任を、損害賠償請求などの形で追及されることがないよう、その統制力を十分発揮して、組合員の争議行為が法の許容する正当な範囲を逸脱することのないよう万全の注意をなすべく、少くともその統制の及ぶ範囲において、いやしくも違法な争議行為がなされていることを知ったときはこれを放置することなく、ただちに阻止すべく有効適切な措置をとることを当該労働組合に対する義務として要請されているものであるが、この義務はまさしくその所属する労働組合に対する義務であって、労働組合の執行委員であることの故に、労働契約上の義務として、使用者に対し当然にかかる違法行為を防止しまたは制止すべき義務を負うべきいわれはない。

(2) しかし、他面労働組合の執行委員(闘争委員)らが争議行為の企画実施において労働組合の規約上与えられている指導的地位およびそこから生ずるところの争議における実質的影響力に鑑みるとき、労働組合の争議行為は彼ら組合幹部の統制ないし指導と通常無関係に展開されるものではなく、また労働争議の場においては、使用者との対向関係、群集心理ないし争議の場という異常な雰囲気から、とかく勢いの赴くところ労働組合の当初の企画、決定をこえて違法な行為に走りがちであることは遺憾ながら周知の事実であり、このことは通常容易に予想できることであるから、執行委員(闘争委員)ら労働組合の幹部が、その統制力の及ぶ範囲内において、当初の企画決定に反する違法な争議行為が現に行われていることを知り、阻止しうるにもかかわらずこれを放置した場合は勿論のこと、違法な争議行為が行なわれるべきことを予見し、かかる行為の行なわれることを事前に防止しえたにもかかわらず、有効、適切な手段を講じてこれが防止に努力しなかった場合には、たとえその行為が労働組合の予定した企画の外に出たものであり、また指導方針に反するものであっても、特段の反証のないかぎり、かかる違法争議行為は労働組合の執行委員(闘争委員)らの企画ないし指導の下になされたものと推認すべく、かかる違法争議行為を容認し、または予見しながら放置した当該執行委員(闘争委員)らは、違法な争議行為を企画、指導した場合と同様、その違法行為につき対使用者との関係において、個人としても責任を負うべきものと解するのを相当とする。

すなわち、労働組合の企画、指導統制をこえて違法な行為がなされた場合においても、その行為が通常人の予見しうべき範囲をこえて突発的に発生した争議参加者の全く個人的な行為(この場合はむしろ争議行為ともみるべきではあるまい)であるなど、労働組合の幹部に予見義務、制止義務を負わせることが相当でないような特段の事情がある場合を除き、当該違法行為が一見偶発的群集心理的になされたようにみえるものであるとしても、多くの場合、かかる行為が行なわれることは容易に予見できるから、執行委員(闘争委員)ら労働組合の幹部は統制力、指導力を発揮して極力統制の保持に努め、かかる違法行為の防止に努むべく、ましてかかる行為が持続し、継起するのにこれを制止しない場合は、もはやこれを容認したものとして予め企画指導したのと同一視して差し支えないと考えられるからである。

(3) なお、労働組合の執行委員(闘争委員)らは、その指導統制下にある労働組合員の違法な争議行為について責任を負うばかりでなく、外部の友誼団体に対して争議の支援を依頼したような場合は、依頼行為そのものから、その統制下にある自己の労働組合に対するよりも一層の強い理由をもって、その指導力統制力を行使して、万が一にも、応援団体から違法行為が発生することのないよう、その統制力、指導力を十分発揮すべきであり、応援団体が、当該労働組合の企画、指導をこえてなした違法行為についても、そのことについて労働組合幹部が指導力、統制力を行使することを期待できないような特段の事情のある場合を除き、結局かかる行為も当該労働組合所属の組合員のなした違法行為同様、その企画、指導の下に行われたものと解すべく、労働組合幹部らは支援労組員がなした違法争議行為についても、共同責任者の一人として対使用者との関係においても責任を免れないと解すべきである。

(4) ただ、本件にあっては違法争議行為を行なった労働組合ないし労働組合幹部に対する損害賠償責任(民法第四四条第一項第七一五条)が問題とされているのではなく、違法争議行為を行なったものに対する懲戒処分という労働契約上の責任が問題とされているのであり、所属の労組員、支援労組員を問わず、その当初の企画指導に反する違法行為につきあまりに闘争委員ら労働組合幹部の予防、制止義務を強調すると、違法争議行為の企画、指導という行為責任ではなく、いわば結果責任を問うに等しくなる危険があり、個人責任の追及が目的である就業規則上の懲戒制度の趣旨に背馳することにもなりかねないから、責任の有無ないし軽重を判断するについては、かかる違法行為を知っていたかどうか、また予見した場合に、関係闘争委員らがどのような配慮をなしたかなど諸般の事情を十分考慮に入れ、現に違法行為が行われていることを知りながら、これを制止しうるのに制止せず放置したとか、それ自体は適法であるが、その争議手段を採用、実施することに伴い当然、違法行為が伴うであろうことが予見しうるのに有効適切な予防手段を講じなかった等違法行為を是認ないし黙認していたと見られてもやむを得ず、違法争議行為を企画、指令、指導したのと同一視すべき場合にのみ、労働契約上の責任を追及することが許されると解するべきである。

(二)(1) まず、本件ピケッティングは、当初の方針からして入店客の絶対阻止の方針をとっていたものではなく、かえって被告百貨店本館各出入口に入口の幅をあけて縦のピケを張り、顧客の通行を物理的に阻止したり邪魔したりせず、専ら顧客に対する呼びかけによって協力を求める、呼びかけの言葉は統一する、というものであり、この方針は、一時出入口が閉塞されたり、時に顧客に対する暴行が行なわれ、また会社に対する悪口が言われたほかは、争議期間中おおむね遵守されたから、本件ピケッティングは全体としていまだ違法な争議行為ということはできないことは前示のとおりであり、したがって、かかるピケッティングを企画、決定実施した全岩労闘争委員らに対し、直ちに本件ピケッティング企画、決定の責任を問い得ないことはいうまでもない。

(2) しかして、争議の実施体制としては、前記認定のとおり幹部三役および支援労組最高責任者は本部に常駐し、その他の闘争委員を各出入口の責任者として配置し、ある者は本部とピケ現場との連絡に当たる等、それぞれその任務を分担し、ピケに参加する支援労組も責任者をきめ、各出入口のピケ隊と本部との連係を密にして全岩労組合員および支援労組員らの行なう争議行為を常時掌握できる体制を整え、毎日ピケ参加者をスポーツセンター前に集めて指示し、ピケの終了後毎日闘争委員会を開いて支援労組代表者をも混えて、その日の出来事を検討し、また本部常駐幹部らは各出入口および店内を巡回して全般の状況把握につとめ、必要に応じて指示を与え、もってピケの指導、統制の保持について相当の配慮をめぐらしていたものであることが認められる。しかしながら、連日のピケの隊列の中で、しばしば一時的ではあれ、ピケの通路が閉塞されたり、通行に困難を来たすほど狭められたり、連日軽微なものとはいえ、時に顧客に対する暴行が行なわれ、また会社に対する悪口が言われるにいたったことは前記認定のとおりである。そしてそれが闘争委員らの当初の意図を超えたものであっても、いやしくもピケットラインの中で起ったことである以上、前記のような体制をとっているかぎり、当然毎日のピケの状況はその部署の闘争委員において十分把握していたところであるから、各闘争委員らとくに幹部三役は少くともこれら違法な行為がなされている概況はこれを把握していたものと推認できる。しかも、かかる闘争体制をととのえていれば、当然これに対処すべき適切な措置がとられ得べき筈であり、事実相当の配慮をしていたことも認められるが、とくに本件ピケには本件労働争議につき直接責任のない支援労組員らが多数参加し、そのメンバーは連日変動するのみならず、中には自主参加の者もあり、しかも、支援労組は全岩労闘争委員の直接の指揮命令下にはなく、さらに、支援労組は争議の方針を決定する過程において、当初顧客の出入りを自由に許す形態のピケッティングに反対の態度を表明し、なかにはピケの初日かかるピケ隊列を組んだ際、これに不満を洩らす支援労組員もあった(この事実は≪証拠省略≫によって認めうる。)といった事情も介在しているのであるから、ピケ隊の勢いの赴くところ、当初の意図に反する行動がなされるおそれは十分予見されるところであったといい得るから、闘争委員らは、万全を期して当初の方針が貫かれるよう指導力を発揮し、統制の保持に努めるべきであった。それにもかかわらず、八月二日から七日まで、かかる違法行為が継起しているところよりみて、個々の行為はたとえそれが一時的、偶発的かつ軽微なものであったにせよ、その指導、統制に万全を期したものとは認められず、闘争委員らもある程度のことはやむを得ないものとしてこれら違法争議行為を容認していたものと推認せざるを得ず、かかる違法行為を闘争委員らの予見をはるかにこえた全く偶発的、一時的なものであると解することはできない。

しかるときは、闘争委員らは、これらピケに派生した違法行為につき、責任の程度はともかく、その責任を免れることはできないものと考える。

(三) 次に、サンドイッチマン戦術が当初は全岩労幹部三役と豊瀬禎一、羽野透ら支援労組の責任者の共同企画の下にその実施が決定され、実施にあたっての指導ならびに実行は主として支援労組の手によりなされたことは前記認定のとおりであり、またサンドイッチマン戦術の企画、決定は、いまだ争議行為として許容される範囲を逸脱したものではなく、正当な争議行為の範囲内にあるものと解すべきであるが、サンドイッチマンに扮した支援労組員および一部の全岩労組員が指示に反して客の通行を妨害するような態様で店内を徘徊したり、すでに商品の選択にとりかかっている客に対してしつように呼びかけるなどの違法な行為に及んだことは前示のとおりであり、かかる違法行為がたとえ当初の企画決定に反したものであるとしても、かかる事態の発生は、すでに本件労働争議に直接責任を負わない支援労組に対し、責任者の目のとどきにくい店内で、かかる戦術を実行することを委ねたこと自体からも、また自ら聞知しうるピケッティングの状況などからも十分予見できた筈であるから、かかる企画決定、指導に関与した関係闘争委員ら(幹部三役以外の闘争委員らも、それを続行するに際して決定、指導に関与したことは後記認定のとおりである。)は、逸脱行為がなされないよう十分配慮すべく、実施の過程において、結果として違法行為がなされた以上、その努力に欠けるものがあったとして、なお違法行為につき企画、指導の責任を問われてもやむを得ないものというべく専ら支援労組員によるものであるとか、かかる違法行為は当初の意図を超えたものであるとか、店内のできごとゆえこれを知り得なかったなどと弁解して責任を免れることはできない。

(四) 旗、旗竿の店内持込みについて

旗、旗竿の店内持ち込みは違法な争議行為と解すべきこと前示のとおりである。そして、かかる違法行為が、全岩労闘争委員からの企画、決定、指導に基づいて行なわれたことを認めうる的確な証拠はないが、前記認定の争議実施体制に照らすと全岩労闘争委員らはかかる行為を知りながらこれを制止することなく放置していたものと推認されるから、これを容認していたものと思料するのほかなく、これを自ら企画、決定、指導した場合と同視すべく、しかるときは、闘争委員らは上記違法行為につきその責任を負うべきものと解する。

(五) 領収書要求について

領収書要求戦術の主要な意図はともあれ、それが被告の営業を積極的に妨害する意図に出たものであること前示のとおりであり、しかして、右領収書要求戦術は支援労組の責任者である鈴木義一および豊瀬禎一らの提案により、同人らと全岩労三役とが企画決定し、その実施を支援労組員らに委ねたことは、前記認定のとおりであるから、かかる違法な争議戦術を企画し、これを実施せしめた当該全岩労幹部三役はその責任を免れない。

(六) 店内宣伝について

サンドイッチマンおよび旗竿などを持ち込んだ争議団以外の者による岩百労所属の従業員らへの宣伝活動ならびに顧客への呼びかけ行為はそれ自体違法と目すべきでないが、それに伴ってなされた顧客に対するしつような話しかけや嫌やがらせ行為は違法な争議行為であると解すべきことは前示のとおりである。

そして、右争議戦術は、特段の事情の認められない限り、全岩労闘争委員会において、これを企画、決定、指導したものか、そうでないとしてもその容認の下になされたと推認されるから、かりに当初の企画、決定、指導を超えるものがあったとしても、闘争委員会のメンバーはこれら活動に際してなされた違法行為につきその責任を免れないと解する。

(七) まとめ

原告らは七月二三日闘争委員会が設置されるや、闘争委員に就任したことは前記認定のとおりであるから、特段の事情の認められない限り、一応全部が闘争委員として前記違法な争議行為の企画、決定、指導に与ったものまたはこれと同視すべきものと推認すべきである。そしてサンドイッチマン戦術については、当初主として全岩労幹部三役が支援労組の提案にかかるこの戦術の企画、決定に与ったことは前示のとおりであるが、他の闘争委員らも前示の争議体制にかんがみるときは、これを続行するに際しては、その企画、決定、指導に関与していたものと推認され、これを覆えすに足りる特段の事情は見当らない。しかし、領収書要求戦術については、前示のとおり全岩労幹部三役が豊瀬禎一、鈴木義一の提案を了承して、実施を支援労組に委ねたものであり、しかもその日(八月五日)限りでとりやめられているから、他の闘争委員らがこの戦術の企画、決定、指導に参画していたとまで認めることはできない。他の戦術については右特段の事情を認めしめるに足りる証拠はない。

2  企画、指導の態様および個人の行為

次に、原告ら各人が闘争委員として違法争議行為に関与した行為の態様ならびに個人としての違法行為の有無について判断する。

(一) 原告三重野正明

(1) 原告三重野が闘争委員長として争議期間中、常時闘争本部にあって争議行為全般の統轄に当っていたこと、争議遂行の最高責任者として、支援労組員の行なう争議行為について支援労組の責任者との連絡協議を行なっていたことは前記認定のとおりである。

≪証拠省略≫によると、同原告は連日各出入口のピケを巡回してピケ隊に指示を与え、店内の状況をも視察していたこと、八月二日、六日スポーツセンター前に集合のピケ参加者に対し、闘争の支持を求める挨拶をしていたことが認められる。

これらの事実を総合すると、原告三重野正明は闘争委員長として終始本件争議遂行の中心となって、前記各違法争議行為の企画、指導、統轄にあたっていたか、これと同一視されるものと推認される。

(2) 原告三重野正明が、八柄豊闘争委員を伴って、八月三日午後二時頃西鉄ホーム中央口より入店し、これを阻止しようとする会社側課長らと押問答し、この間中央口のピケ隊多数が、委員長声援のため店内になだれ込み、一時附近売場を喧噪に陥入れたことは前記認定のとおりである。同原告が故意にピケ隊をなだれ込ましたことを認定できる証拠はないが、争議時の異常な雰囲気の中において闘争委員長が入店しようとすれば、会社側が当然これを阻止することが予想され、またこのような事態になれば、あるいは入口附近のピケ隊が委員長を声援するために、店内になだれ込むような事態を招くに立ちいたらないともかぎらないということは、相当の注意をすれば通常人として予測し得ないことでもないと考えられるから、原告三重野正明は、同原告の入店により惹起されたピケ隊乱入による業務妨害の結果につき過失の責任は免れないものというべきである。

しかしながら、会社側が争議関係者の立入りを禁止していたとはいえ、店内立入りそのものが、ただちに業務妨害に該るということはできず、またこの混乱が会社課長団との対向関係より派生した一時的なものにすぎないことなどを考慮すると、いまだ右所為をもって、会社就業規則第八一条第六号の「故意又は重大な過失によって会社に損害を与えたとき」に該当するとまでは解し得ない。また会社課長らは出入口の監視に当っていたにすぎないのであるから、課長団との押問答を捕えて、同就業規則第八二条第二号の「他人に対し暴行、脅迫を与え又はその業務を妨害したるとき」に該ると解するのも相当でない。

(3) 八月四日午後一時、サンドイッチマン七、八名が西鉄ホーム側入口より入店しようとし、会社側の制止にあって、これを声援するピケ隊一五、六名が出入口から乱入し、附近売場を一時喧噪に陥入れたことは前記認定のとおりである。しかし、この際のピケ隊が会社側課長に対し吊し上げ(脅迫)を行なったことを認めしめる証拠はない。

そして、≪証拠省略≫によれば、平田闘争委員とともにサンドイッチマンを先導したか、後からサンドイッチマンと課長団との口論に加わったかどうかは判然しないが、右口論の際、原告三重野正明が平田闘争委員とともにその場に居合わせたことが認められる。しかし、同原告が故意に右乱入を惹起せしめたものと認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、右入店により惹起されたピケ隊の乱入とこれによる附近売場における会社の業務妨害の結果については、前記(2)に説示と同様の理による過失の責任は免れない。

(4) また、八月五日サンドイッチマン多数とこれを追い出そうとした課長団とが一階で対峙した際、ピケ隊がこれに加勢して店内になだれこみ、混乱が生じたことは前示のとおりであり、被告はその際原告三重野正明が他の闘争委員らとともに会社課長に食ってかかるなどして、争議団員を指導煽動して会社の業務を妨害した旨主張し、≪証拠省略≫中には右主張に沿う供述記載が存するけれども、そのうち同原告がその場に居合わせたとの事実は≪証拠省略≫に照して、にわかに信用し難く、いまかりに、その事実があったとしても、右店内へのなだれ込みは、ピケ隊の一時的崩れと目すべきであり、同原告が他の闘争委員らとともに殊更にこれら争議団員を指導激励し、あるいは煽動して会社の業務を妨害せしめたことを認めるに足りる証拠はない。

(5) なお、被告が原告三重野正明の違法行為として主張する事実のうちその余の事実についてはこれを確認しうる証拠がない。

(二) 原告三重野栄子

(1) 原告三重野栄子が闘争事務局長として常時闘争本部にあって、三重野委員長を補佐し、争議行為全般の統轄に当っていたこと、八月二日より七日まで毎朝スポーツセンター前において、ピケ参加者に対し、経過報告と、その日の行動について一般的指示を行っていたことは前記認定のとおりである。

また≪証拠省略≫によると、一日一回はピケを巡回し、ピケ隊に、呼びかけの言葉などについて具体的に指示を与え、また時にはマイクで呼びかけを行なったりしていたことが認められる。

以上の事実を総合すると、原告三重野栄子は委員長、副委員長と一体となって、本件争議遂行の中心となり、他の闘争委員らとともに、前記各違法争議行為の企画、指導に参与したか、またはこれと同一視し得るものと認めざるを得ない。

(2) 被告は、原告三重野栄子が八月三日および五日頃入店し、就労中の岩百労組合員に対して全岩労への復帰等を呼びかけた旨主張するが、店員に対する呼びかけそのものは別段違法とは解し得ないこと前示のとおりであり、同原告の呼びかけがとくに正当性の範囲を逸脱していたと認め得る証拠はない。

(3) 八月三日、原告三重野正明、同八柄豊が入店しようとした際、ピケ隊が乱入したことは前示のとおりであるが、その際被告主張のごとく原告三重野栄子が混乱を煽ったことを認め得る確たる証拠はない。

(4) 八月四日午後一時頃、熊谷闘争委員がフィルムの返還を要求して、会社側との間に紛争が生じたことは前記認定のとおりであり、また、≪証拠省略≫によると、その際原告三重野栄子も同熊谷高信とともに吉原八十吉課長に対して、その返還を要求したことが認められるが、フィルムの返還を強要したり、混乱を惹起させて一階鞄売場通路を塞いだ旨の被告主張に沿う≪証拠省略≫は、≪証拠省略≫に照らしてにわかに信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(5) 八月四日被告主張のごとく原告三重野栄子が、被告百貨店七階食堂で「岩田屋の食堂には赤痢菌がおる」と呼びかけるようサンドイッチマンを指導したことを認めうる確たる証拠はない。

(6) 八月五日午後六時すぎ、会社側が二度にわたってサンドイッチマンを押し出そうとした際、ピケ隊員が店内に乱入したことは前記認定のとおりであり、その際原告三重野栄子も店内に立ち入ったことは≪証拠省略≫等によって十分これを認め得るが、同原告がことさらに争議団員を店内に乱入せしめたり、店内を横行徘徊したり、争議団員を指導、激励したことを認めるに足りる証拠はない。

(7) なお、被告が原告三重野栄子の違法行為として主張するもののうち、その余の事実についてはこれを認めしめる確証はない。

(三) 原告芳井伸明

(1) 原告芳井伸明が闘争委員として争議期間中他の闘争委員とともに二日より四日まで北側口、五日以降西鉄ホーム売店口に配置され、右の各入口のピケの統轄をその任務としていたことは前記認定のとおりである。

≪証拠省略≫によれば、原告芳井伸明は特定の入口のピケの責任者としてその統制、指導、激励にあたるとともに、自らも入店しようとする顧客に対し、説得活動にあたったことがあるほか、争議中カメラマンを担当し、連日各出入口のピケを巡回し、前記認定のとおりしばしば店内に入店したこと、八月四日ならびに五日のいずれも午後六時頃ピケ隊が店内に乱入した際、同原告も店内に入店し、課長団と口論に及んだことは認められるけれども、前掲証拠をもってしても同原告が、八月二、三、四日西鉄ホーム中央口のピケの先端に立って、通路を頑強に塞いで、両手で客の入店を阻止したり、暴行を加えたり殊更に、争議期間中常時ピケ隊のなだれ込みを指導激励したり、入店した争議団を煽動し、故意に売場を混乱せしめ、もって会社業務を妨害したことを認めるに足りず他に右事実を肯認しうる証拠はない。

なお、≪証拠省略≫中には、同原告が八月二日正午頃中央口ピケ隊の先端で、入店しようとする客に対し大声をあげ、「労働者の敵は入りなさい」と威圧を加えて入店を阻止したり、ピケ隊を煽ったりした旨の被告主張に沿う供述記載が存するけれども、右は≪証拠省略≫に対比してにわかに信用し難く、他に同原告が右のごとき言動をなしたと認めるに足りる証拠はない。

そして前記認定のとおり、原告芳井がしばしばピケ隊を巡回したり、店内に入店していたことはカメラマンを担当していたことからみて首肯されるところであり、これらの事実をもってしては、同原告が闘争委員として、他の闘争委員に比して、単に入口のピケの統轄とカメラマンを分担した以上に重要な役割を分担し、本件争議を中心になって推進していたものとは認められず、一般闘争委員(組合三役を除く、以下同じ)と同程度において、前記各違法争議行為(ただし、領収書事件を除く)の企画指導に参与したか、またはこれと同一視し得るものと認めざるを得ない。

(2) また、八月四日午後四時頃北側口より四〇名位の争議団員が旗竿を先頭に店内に押し入り、エレベーター附近でこれを阻止しようとする課長団と対峙し、その際売店口から応援のためピケ隊がはいりこんだこと、その日の午後三時頃、入店しようとしたサンドイッチマンが中央口からはいり、これを阻止しようとする課長ら一〇数名と交通交社前で押問答をした結果、サンドイッチマンは店内をまわり、ピケ隊は入口に戻ったことは前記認定のとおりである。被告らは、原告芳井はエレベーター前において制止する会社課長らを吊し上げあるいはその制止を排して、サンドイッチマン隊を誘導するなどして、これを助長、煽動し、もって会社の業務を妨害した旨主張し、さらに同原告は同日四時頃東側口より強行入店し、これを応援して入店してきた原告牛尾その他のピケ隊員らとともに制止する会社課長を売場に押しつけるなどの暴行を働いた旨主張し、右主張に沿う、≪証拠省略≫が存するけれども、これらの証拠をもってしてもいまだ原告芳井、同牛尾に会社課長に対する右のごとき暴行行為があったことを認めるに十分でないことは前記説示のとおりである。しかし、原告芳井が同日の午後しばしば北側口等より店内に出入りしていたことは右の各証拠によって明らかであるから、同原告は北側口の責任者として同日の午後店内一階において、入店した争議団を阻止せんとする課長らと対峙し、その際同課長らと種々口論したであろうことは推測に難くないが、相手方が、争議中対向関係にある会社側課長であり、通常争議時にかゝる者との間に、相当激しい言葉のやりとりのあることは遺憾ながらあり勝ちのことであり、またその口論の場所も公衆の出入りする売場通路であることを考えると、口論程度の言葉のやりとりをもってただちにいわゆる吊し上げ(脅迫)とみるのは相当でない。また争議団員数名とともに店内で喚声をあげたこと、およびサンドイッチマン戦術等を助長、煽動したことを認めうる確たる証拠はない。

(3) ≪証拠省略≫によれば、原告芳井が八月三日および六日ごろ、就労中の岩百労所属の従業員に対し全岩労復帰の呼びかけかどうかはともかく、話しかけたことは認められ、それが全岩労復帰ないしスト協力のための説得工作であるとしても、前記認定の態様の程度にとどまるならば、これを違法視することができないことはすでに述べたとおりであり、原告芳井の行為が限度を逸脱したものと認めうる証拠はなく、したがって、原告芳井の右呼びかけをもってただちに業務妨害行為に該るものと認めることはできない。

(4) また、≪証拠省略≫によれば原告芳井が、誘導していたかどうかはともかく、店内でサンドイッチマンと行動をともにしたことがあることは認められるが、≪証拠省略≫中同原告が客と口論した旨の供述記載はにわかに信用しがたく、他に同原告がサンドイッチマンらとともに顧客の購買行為を妨害したことを認めるに足りる証拠はない。

(5) なお、八月五日午後五時頃地階食料品売場で領収書要求等がなされた際、原告芳井が現場でこれを指導した旨の被告主張に沿う≪証拠省略≫に照らしてにわかに信用しがたいことは前述のとおりであり、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(6) 他に、原告芳井に対するその余の被告主張事実を認めうる証拠はない。

(四) 原告熊谷高信

(1) 原告熊谷が闘争委員として争議期間中、他の闘争委員とともに八月二日より四日まで東側口に、五日、六日は西鉄ホーム側入口に、七日は北側口にそれぞれ配置され、右の特定出入口のピケの統轄をその任務としていたことは前記認定のとおりである。

そして、≪証拠省略≫によれば、原告熊谷は右分担した出入口のほか日により北側口、東側口、西鉄ホーム、コンコース口、売店口などに出かけて、ピケ隊の統制、指導、激励に当るほか、自ら入店しようとする客への説得活動に当っていたことが認められる。

しかしながら、同原告が八月二日北側口で入店しようとする客に対し「岩田屋は高いサービスが悪い」とか、東側口で「入口はあちらです」と西鉄ホーム側を指していったことについては、≪証拠省略≫は≪証拠省略≫に比照してにわかに信用し難く、他に右主張事実を肯認しうる証拠はない。

(2) また、≪証拠省略≫によれば、原告熊谷がサンドイッチマンを誘導していたかどうかはともかく、サンドイッチマンとともに店内を徘徊したこと、八月五日午後五時半頃店内入店中のサンドイッチマンを会社課長が阻止しようとした際、東側口から入店して課長と口論したことが認められる。

しかし、右証拠だけでは、それ以上に同人が殊更ピケ隊の店内入店を煽ったり、顧客の買物の妨害をしたりまたはサンドイッチマンにこれをせしめたり、課長らに暴行を加えるなどの行為に及び、もって会社の業務を妨害したことを認めるには十分とはいい得ない。

(3) また八月四日午後一時頃原告熊谷が同人を撮影したフィルムの返還を要求して会社側と口論したことは前記認定のとおりであるが、その際、同原告が会社側写真班梅野給与係をしつように追いかけまわして売場を混乱させたと認めうる確たる証拠はない。

(4) さらに、被告は、八月四日および五日のいずれも午後六時頃の店内混乱の際、原告熊谷が集団を煽動して混乱を助長せしめた旨主張し、≪証拠省略≫によると、同原告がその際課長団と口論したことを窺えないではないが、同原告が積極的に集団を煽動して混乱を助長せしめたことを認めるに足りる証拠はない。

(5) 他にその余の被告主張事実を確認しうる証拠はない。

以上認定の事実によれば熊谷が、他の闘争委員に比して各出入口のピケの統轄という責任分担以上に重要な役割を分担し、本件争議の中心となってこれを推進していたものとは認め難く、したがって、他の一般闘争委員と同程度において前記各違法争議行為(ただし、領収書事件を除く)の企画、指導に参与したか、またはこれと同一視し得るものと認めざるを得ない。

(五) 原告牛尾洋一

(1) 原告牛尾が、闘争委員として争議期間中、他の闘争委員とともに八月二日より四日まで北側口に、五日、六日は売店口に、七日は東側口にそれぞれ配置され、右の特定出入口のピケの統轄をその任務としていたことは前記認定のとおりである。

そして、≪証拠省略≫によれば、原告牛尾は、右分担した出入口でピケ隊の統制、指導、激励等にあたるほか、日により北側口、東側口、西鉄ホーム中央口に出かけて、客に呼びかけを行ったことが認められるけれども、右事実だけでは、同原告が本件争議において各入口のピケ隊の統轄という責任以上に重要な役割を果していたものとは認め難く、この程度では、他の一般闘争委員と同程度において、前記各違法争議(ただし、領収書事件を除く)の企画指導に参与したか、またはこれと同一視し得るものと認めざるを得ない。

なお、被告の主張にかかる原告牛尾が、八月二日午後一時頃北側口において、客を誘導中の会社課長に対し、「貴様邪魔だのけ」「貴様早くゆけ」と怒鳴って客の誘導を妨げたこと、およびピケ隊列の間隔がなくなったので、通路を開けるよう注意した会社課長に対し、「ここは俺が責任者だ。いらんこというな」と怒鳴って会社課長を押し返したことについては、これを認めうる確たる証拠がない。

もっとも、原告牛尾が、八月二日北側口において出入口にいた古川営業次長の耳元で、メガホンで、「次長邪魔だ。帰れ」と怒鳴ったことは≪証拠省略≫によってこれを認め得ないではなく、右の行為はそれ自体遺憾な行為ではあるけれども、前記(三)の(2)説示と同様の理由により、これをもってただちに暴行とみるのは相当でない。

(2) また、≪証拠省略≫によると、原告牛尾がサンドイッチマンに扮したり、またはこれを先導していたかどうかはともかく、争議期間中サンドイッチマンとともに店内を徘徊したことを認め得ないではない。しかし、右証拠中同原告がサンドイッチマンらとともに「岩田屋の生地はきず物だ、新天町に行って買いなさい。」とか「岩田屋はサービスが悪い。」などと会社の悪口をいい、その信用を害う行為をした旨の部分はにわかに信用できず、他に同原告が店内で会社の業務妨害をした事実を認めるに足りる証拠はない。

(3) また、≪証拠省略≫によれば、八月四日および五日のいずれも午後六時頃のピケ隊の店内乱入の折、原告牛尾が、そこに居合わせたことが窺われないではないが、右証拠だけでは、同原告がことさらに混乱を煽動したり、これを助長せしめて、会社の業務を妨害したことを認めるには十分でない。

(4) なお、八月四日原告熊谷が同原告を撮影したフィルムの返還を要求して会社課長らと口論した際、原告牛尾も北側口から店内に入り、口論に加わったことは、≪証拠省略≫によってこれを認めうるが、その際の同原告らの言動がいわゆる吊し上げと評価するには足りないことはすでに原告三重野栄子および同熊谷高信の項において説示したとおりである。

(5) 原告牛尾が八月四日午後四時頃原告芳井とともに、会社課長らを売場ケースに押しつけるなどの暴行を加えたことを認めるに足りる確たる証拠のないことは、すでに原告芳井の項で述べたとおりである。

(6) 他に、原告牛尾に対するその余の被告主張事実を確認しうる証拠はない。

(六) 原告今泉英昭

(1) 原告今泉が闘争委員として争議期間中、他の闘争委員とともに八月二日より四日まで売店口、五日、六日北側口、七日西鉄ホーム側入口に配置され、右の特定出入口のピケの統轄をその任務としていたことは前記認定のとおりである。

ところで≪証拠省略≫によれば、原告今泉は担当の出入口で、ピケ隊の指導、統制、激励等のほか自ら入店しようとする客に対して協力呼びかけなどを行ない、さらに、他の闘争委員とともに争議中、日により、北側口、西鉄ホーム側各出入口に出かけて客に呼びかけを行なったことが認められるけれども、同原告が八月二日午前一一時より午後一時の間、西鉄ホーム売店口に張られたピケ隊の極めて狭い通路の間を、故意に往復して客の入店を阻止していたこと、八月二日又は三日午前一一時半頃、吉富課長が西鉄ホーム売店口のピケの先端にいったところ、原告今泉がピケ隊一〇数名とともに取囲んで同課長の吊し上げ(脅迫)を行ったこと、および八月五日又は六日の昼頃、売店口において、夫婦連れの客を四、五人で取り囲んで、この人は岩田屋の廻し者じゃないかな、入れなさんななどと威圧してその入店を阻止したことを認めることのできる確たる証拠はない。

右認定の事実によれば、原告今泉は、各出入口のピケ隊の統轄という責任以上に重要な役割を果していたものとは認め難く、この程度では、他の一般闘争委員と同程度において、前記各違法争議(ただし、領収書事件を除く)の企画指導に参与したか、またはこれと同一視し得るものと認めるのが相当である。

(2) 原告今泉が八月三日午前一一時頃、西鉄ホームコンコース口より、会社課長の制止をふりきって入店し、店内を徘徊したことは≪証拠省略≫によって認められるけれども、その際、課長に暴行を加えたことについては確たる証拠はなく、また入店したことによって、如何なる会社の業務が妨害されたかについてもこれを認むべき十分な証拠はない。

なお、原告今泉がそのときサンドイッチマンの一団を引率誘導して侵入した旨の≪証拠省略≫は、すべて認定したとおり、サンドイッチマン戦術が行なわれたのは同日午後のことであるから信用できない。

(3) 八月四日午後エレベーター前において、争議団とその退去を求める会社課長団との対峙に際し、原告今泉が会社課長団に対し脅迫的言動をなしたとの点、および八月五日午後六時すぎ発生した薬品売場附近における混乱の際、同原告が争議団員を率先指導し、煽動したとの点については、同原告がその場に居合わせたことを認めえないわけではないが、同原告が脅迫煽動にまで及んだことについては上掲証拠だけではいまだこれを認めるに十分ではない。

(4) 他に原告今泉のその余の被告主張事実を認めうる証拠はない。

(七) 原告八柄豊

(1) 原告八柄豊は闘争委員として、闘争本部とピケ隊の連絡係を担当し、全岩労組合事務所に詰めていたほか、組織統制部長として、支援労組の責任者である羽野透らと相談のうえ、ピケ隊の編成、配置などの事務に従事し、また毎朝スポーツセンター前における全岩労および支援労組員集合の際に、原告三重野正明、同三重野栄子のあいさつ、指示激励ののち、闘争委員会の決定事項やピケ隊の編成配置等につき、参加者に対し具体的な指示、伝達を担当していたことは前記認定のとおりであり、また、≪証拠省略≫によれば、同原告が随時ピケ現場において争議を指導、激励していたことが窺われる。

なお、八月三日原告八柄豊が原告三重野正明とともに入店しようとして、会社側の阻止にあい、その際ピケ隊が入店して店内が一時混乱したことおよびこれに対する判断は前記説示のとおりである。

(2) 他に、原告八柄豊のその余の被告主張事実を確認しうる証拠はない。

してみると、当時原告八柄豊は、組合の組織統制部長を担当しており、また本部に常駐していた関係上、各出入口のピケの統轄を任務としていた他の一般闘争委員とその任務において異るところがあるとはいえ、他の一般闘争委員以上に重要な役割を果たしていたとは認め難く、他の一般闘争委員と同程度において前記各違法争議行為(ただし、領収書事件を除く。)の企画指導に参与したか、またはこれと同一視し得るものと認めるのが相当である。

(八) 原告八柄明美

(1) 原告八柄明美が、闘争委員として争議期間中、他の闘争委員とともに八月二日から四日までは西鉄ホーム側入口に、五日、六日は東側口に、七日は再び西鉄ホーム側入口にそれぞれ配置され、右の特定出入口のピケの統轄をその任務としていたことは前記認定のとおりである。

そして、≪証拠省略≫によれば、原告八柄明美は八月五、六日は体の具合が悪く全岩労組合事務所にいて、東側口のピケ現場の指導を実際には行なわなかったが、右以外の日はそれぞれ分担した出入口でピケ隊の統制、指導、激励等にあたったほか、南口に備えつけられたマイクを通じ、一般通行人に対しスト協力を呼びかけたことが認められる。そうすると、同原告は、他の一般闘争委員と同程度において、前記各違法争議(ただし領収書事件を除く)の企画指導に参与したか、またはこれと同一視し得るものと認めざるを得ない。

(2) もっとも、原告八柄明美に限らず、ピケの現場の統轄を委ねられた各闘争委員らは原告芳井を除くほか、いずれも組合役員としての経験も浅く、年令も若く、また争議の経験も乏しく、また原告江島桂子、同八柄明美らは女子であることもあって、統率力に欠けるところもあったので、実際には支援労組の現場の責任者である羽野透、鈴木義一らが全岩労および各支援労組らを含めてピケ全般の指揮をとり、各出入口担当の全岩労各闘争委員らはその下において、各出入口において各支援労組の責任者と並んで、ピケ隊の指導、統制に当っていたに過ぎないことは前記認定のとおりである。

(3) 他に原告八柄明美のその余の被告主張事実を確認しうる証拠はない。

(九) 原告鐘ヶ江ミヨ子

(1) 原告鐘ヶ江は、闘争委員として、他の闘争委員同様、本件違法争議行為(ただし、領収書事件を除く)の企画指導に参与し、またはこれと同一視し得る情況にあったほか、本部付きとして全岩労組合事務所にいて来客の接待や指令の伝達など本部と争議現場との連絡役に当っていたことは前記認定のとおりである。

(2) 他に、同原告のその余の被告主張事実を確認しうる証拠はない。

(十) 原告進藤恒雄について

(1) 原告進藤が闘争委員として争議期間中、他の闘争委員とともに本件違法争議行為(ただし、領収書事件を除く)の企画指導に参与し、またはこれと同視し得る情況にあったほか、八月二日より四日までは、北側口に、五日、六日は売店口に、七日は東側口にそれぞれ配置され、右の特定出入口のピケの統轄をその任務としていたことは前記認定のとおりである。

そして、≪証拠省略≫によれば、原告進藤は担当の出入口でピケの指導、入店客への協力呼びかけ、通行客へのビラ配りなどをしたこと、七日には殆どピケにつかず闘争委員会に出席していたことが認められる。

(2) しかし、原告進藤がサンドイッチマンを誘導し、店内を横行徘徊したことを認めうる的確な証拠はない。

(3) 他に同原告のその余の被告主張事実を確認しうる証拠はない。

(十一) 原告江島桂子

(1) 原告江島が闘争委員として争議期間中、他の闘争委員とともに、本件違法争議行為(ただし領収書事件を除く)の企画指導に参与し、またはこれと同視し得る情況にあったほか、八月二日から四日までは売店口に、八月五、六日は北側口に、七日は東側口にそれぞれ配置され、右の特定出入口のピケの統轄を任務としていたことは前記認定のとおりであり、しかして、≪証拠省略≫によれば、同原告は右分担した出入口でピケ隊の指導、入店客や通行人への協力呼びかけをしたほか、争議の後半には店内に入り岩百労所属の従業員に対し全岩労への復帰の働きかけをしたことが認められる。

(2) 他に同原告のその余の被告主張事実を確認しうる証拠はない。

六  就業規則該当性

1  本件争議において採られた各種の争議行為のうち、ピケッティングについては、全体としていまだ正当性の範囲を逸脱しているとはみられないものの、その際みられた出入口の閉塞、客への物理力の行使による顧客の入店阻止、被告百貨店への悪口はいずれも違法な争議行為であること、サンドイッチマン戦術そのものは、平和的説得に止まるものとして正当な争議行為であるが、サンドイッチマンなどによってなされた、顧客への嫌やがらせや、しつような協力呼びかけ、購買行為の妨害はもはや争議行為として許される範囲を逸脱するものであること、旗竿持ち込みは顧客に対する平和的説得の範囲を超え違法な争議行為であること、とくに領収書要求行為は積極的な営業の妨害を意図するものとして正当な争議行為とはいい得ないことは前示のとおりであり、しかして、原告らは前記認定のとおり、いずれも闘争委員として本件違法争議行為を企画、実施、指導し、またはこれと同視しうる情況にあったもの(ただし、領収書事件については原告三重野正明、同三重野栄子のみ)であるから、責任の軽重はともかく、いずれにせよ、違法争議行為の企画、実施、指導の責任はそれに関与した範囲において免れ得ないというべきところ、右認定にかかる原告らの各行為は、会社就業規則第八一条第六号、第一二号、第八二条第九号(同号にいう「情状重いとき」とは同条但書よりみて「懲戒解雇に値するほどに情状が重いとき」の意と解しえないことは明らかである。)に該当するというべきである。

2  しかしながら、

(一) 本件争議における主要な争議戦術である顧客に対するピケッティングは全体として正当と評価されること、もっとも前示のとおり、争議期間中を通じ、しばしば出入口が閉塞されたり、顧客に対する実力行使がなされたり、会社に対する悪口が叫ばれたりしたことは違法といわざるを得ないが、全体を通じてみると、これらの行為は偶発的、一時的、かつ、軽微なものであって、違法性の程度も左程高くないと見られるし、また組合幹部三役ら闘争委員もできるかぎりピケの指導統制に努めていたと認められること。

(二) サンドイッチマン戦術もそれ自体は違法とはいえないのみならず、サンドイッチマンらがなした違法行為は、闘争委員らの統制、指導を超えたものであり、闘争委員らの統制指導の及ばない店内でなされた違法行為につき重い責任を問うのはいささか酷であること。

(三) 旗および旗竿の持ち込みは違法な争議行為といわざるを得ないが、これは全岩労闘争委員らの企画、指導になるものではなく、支援労組の独断によるものであり、かかる行為を黙認した以上責任なしといえないこと前示のとおりではあるが、責任の軽重を判断する場合にはかかる事情を当然しん酌すべきこと。

(四) 領収書要求行為は積極的業務妨害と判断せざるを得ないが、前示のとおり、それが主たる目的とはみられないこと、およびそれが当初の岩百労従業員に対する説得の目的を達しえず、弊害のみ多いことを知るや、ただちにこれを取り止め爾後行なっていないこと。

等諸般の事情を考慮するときは、原告芳井伸明、同熊谷高信、同牛尾洋一、同今泉英昭は勿論、原告三重野正明、同三重野栄子についても、その情状は同原告らを被告企業から排除しなければならないほどに悪質重大であるとはいい得ず、休職(原告三重野正明、同三重野栄子についてはかなり長期の休職)にとどめるのが相当であるから、同原告らに対してなした懲戒解雇処分はいずれも就業規則の適用を誤った違法があるか、もしくは懲戒解雇権を濫用したものとして、無効である。

3  なお、原告八柄豊、同八柄明美、同鐘ヶ江ミヨ子、同進藤恒雄、同江島桂子の所為に対する被告会社の休職一五日の処分は、同原告らの本件争議前およびその期間中闘争委員として闘争委員会に出席し、争議行為の企画、決定に参与し、またはこれと同視し得る情況にあった事実および前記違法争議行為によって、被告会社の被った損害の程度その他諸般の事情を併せ考えると、実際には争議の企画、決定が全岩労幹部三役の主導のもとになされていたという前記認定の事実を考慮に入れても、なお酷にすぎるものとはいい難く、したがって、右処分はいずれも相当なものと認むべきである。

七  権利濫用および不当労働行為の主張について

原告八柄豊、同八柄明美、同鐘ヶ江ミヨ子、同進藤恒雄、同江島桂子の行為が、被告主張の懲戒事由に該当し、そしてその懲戒処分(休職一五日)が苛酷に過ぎるものでないことは前項認定のとおりであるから、会社就業規則を適用してなした同原告らに対する右懲戒処分をもって懲戒権の濫用と目すべきでないこと勿論である。

また同原告らに対する右懲戒処分は本件争議における違法争議行為を理由とするもので、前記認定のとおり右違法争議行為のみを捕えてみても、右懲戒処分を相当とすべきものであり、しかも右懲戒処分が不当労働行為であると認め得べき証拠もないから、右懲戒処分が不当労働行為であるとする右原告らの主張も亦採用できない。

第二  次に原告三重野正明、同今泉英昭の予備的懲戒解雇の効力について検討する。

一  被告が昭和三九年一一月二四日左記の理由により前記会社就業規則第八二条第二号前段により原告三重野正明、同今泉英昭を予備的に懲戒解雇し、同年一二月分以降の賃金は一切支払わない旨を通告し、右各通告は即日右原告両名に到達し、爾来被告は同原告らに賃金の支給を一切拒否していることは当事者間に争いがない。

予備的懲戒解雇の理由

原告三重野正明

右の者は昭和三四年一二月一七日開店直後から一二月一八日あけ方の間において全岩労組合員及び他労組員と共同し率先して会社幹部に対し暴行脅迫を加え、特に一二月一七日午後五時四〇分ごろ別館五階人事部応接室において柴田課長に対し暴行を加えた。

原告今泉英昭

右の者は昭和三四年一二月一七日開店直後から一二月一八日あけ方までの間において全岩労組合員および他労組員と共同し率先して会社幹部に対し暴行脅迫を加え、特に

(1)  一二月一七日昼ごろ本館五階茶室において糸永課長に対し暴行を加えた。

(2)  一二月一八日午前零時ごろ別館五階人事部応接室において奥村部長に対し暴行を加えた。

(3)  一二月一八日午前三時ごろ第一応接室入口において竹下課長に対し暴行を加えた。

(4)  一二月一八日午前三時ごろ別館第一応接室において大塩副長に対し暴行を加え、七日間の左下腿部打撲傷兼挫傷を負わせた。

二  会社と全岩労との関係

≪証拠省略≫をあわせると、全岩労では昭和三二年六月下旬、前記のごとく多数組合員が脱退、分裂するという事態が起り、全岩労に比して穏健な岩田屋従業員組合を組成、組織し、同年一〇月岩百労と改称し、今日に至っているが、全岩労の組合員数は前示分裂を契機として急激に減少の一途を辿り、昭和三四年には前年夏の争議時の約三六〇名より更に減少し、昭和三八年ごろには約八〇名にまで減じ、その後も現在に至るまでになお若干名の減員があり全岩労幹部組合員らは右の組合員数の減少、組織の弱体化の原因は一に会社の分裂、切崩工作にあるものと考えて、組合員数の確保、組織の防衛に腐心していたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

三  岩田屋家庭用品課売場における正規の販売会計組織について。

≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実が認められる。

すなわち、昭和三四年一二月当時、岩田屋の商品販売は(イ)、現金販売、(ロ)、商品券その他の金券(ギフトチェック等)販売、(ハ)、会社と特約を締結した顧客に対するチケットによる信用販売等に大別され、家庭用品課売場においては(他の販売各課においても大体同一の取扱になっていたが)同課に所属する販売係従業員は主として顧客に商品を販売し、またはこれに付随する包装、客の依頼による配送係への回付等の事務をするのみで、代金の収納、金銭の管理、金銭登録器(レジスター)の操作、売上金額をその品目とあわせて記録、計上すること、返品の記録および商品の引合検品等の事務は出納課から各売場に派遣されるレジスター係従業員(岩田屋内で当時キャッシャーと呼称)が処理する制度となっており、右キャッシャーの食事等の休憩時間中はパッカーと称せられる出納課の他従業員がキャッシャーから事務引継上必要な未済事項等の申し継ぎを受けたうえ、その事務処理を代行し、休憩時間等が終了すれば、再びその事務をキャッシャーに引き継ぐこととなっていた。

なお、家庭用品課売場における昭和三四年一二月当時の正規の現金販売およびチケット販売ならびに売上商品の配送手続のうち本件に関係ある部分の大要はつぎのとおりである。

1  現金販売

販売係員が商品を顧客に販売したときは、その販売代金とともに当該商品を値札付のままキャッシャーのもとに持参し、また容積数量が大で持参し難い物は値札を持参して、売場にある商品を指示し、キャッシャーは正札と商品の符合、金額計算の正確を確認、検品したうえ、レジスターにより機械的に売上品目、売上金額を記録し、右値札に現金売上済みの証拠となる丸形の入金印を押捺し、販売係員は顧客の要求に従い、入金印が押捺された値札付のまま、またはこれを剥離して商品を所定包装紙に包装し、その上にシールを貼付して販売係員としての包装を了し、これをキャッシャーのもとに持参すること、キャッシャーは右シール上に再び前示入金印を押捺して包装手続を完了し、販売係員は右入金印押捺済の包装商品を顧客に交付するか、あるいは顧客の要望により後認定の配送手続に付する。

2  御帳合伝票(チケット)販売

岩田屋では常得意先に対しては予め番号を付し、右番号と会社備付のチケット台帳口座番号との照合により、顧客の何人であるかを容易に確認できるようになっているチケット帳を交付し、右チケットを利用する信用販売を行っており、チケットによる商品買上を希望する顧客のあるときは、販売係員はその顧客の所持するチケット帳からチケットの一片を切り離して受領し、これと売場備付のチケット台帳の口座番号とを照合して顧客が誰であるかを確認し、ついでA、B、C、D、Eの五葉で一組となっている売掛伝票(岩田屋内部で御帳合伝票と呼称)のそれぞれに顧客の氏名、チケット番号、売上、品名、数量、単価、売上金額等所要事項を記入し、顧客から受領したチケットはD票に糊づけ貼付して、右伝票と値札付のままの売上商品とをキャッシャーのもとに持参し、キャッシャーは右商品と御帳合伝票の記載内容とが符合することを確認して、値札に角形の帳合印を押捺し、ついで同伝票引合欄にキャッシャー個人の認印を、検品欄に前示帳合印をそれぞれ押捺し、販売係員は右検品済となった売上商品を包装し、包装シール上に再び帳合印の押捺をキャッシャーから受けて包装を完了し、右商品を顧客に交付し、または後記配送手続に付する。またチケット客がチケット帳を所持せずに商品購入を希望するときは、必らず会社外商課に連絡をとり、同課において顧客の確認をしたうえ、帳合伝票D票チケット貼付欄に外商課長の認印の押捺を受け、販売係員は必らず右認印を受けた同伝票を使用して、前同様の方法で御帳合伝票を作成し、商品を販売せねばならず、売場販売員かぎりで、勝手にチケットを所持しない顧客に対し、帳合伝票を作成して商品を販売することは固く禁止されている。なおまた顧客が寸秒を惜しんで買上商品の引取方を要求するようなことも稀にはあり、かような場合には、御帳合伝票作成前に商品を引き渡すことがあるが、この場合にも販売員は必らず前同様チケットの交付を受け、顧客の住所、氏名、商品名、金額等所要事項をキャッシャーに明確に連絡、告知し、キャッシャーはこれをメモしておき、これに基づいてキャッシャーのもとで前同様の値札への帳合印の押捺、売上商品の検品、包装シール上の帳合印の押捺を受けたうえで商品を引き渡し、帳合伝票は引渡後、前示キャッシャーのメモにより作成するように命ぜられており、販売員がキャッシャーの検品を受けず勝手に商品を包装して顧客に引き渡すことは一切厳禁されていた。このようにして作成された帳合伝票は後にそれぞれ所定の各部課に保管されて、所定期限に得意先からチケット売掛代金の取立、回収がなされるのである。

3  売上商品の配送は前認定の販売手続が完了した後に販売員が配送伝票を作成し、商品とともに配送係に回付されることになっていた。

岩田屋では当時従業員が右販売手続を遵守すべきことを厳しく教育しており、販売員、キャッシャーおよびパッカーはその事務に従事した期間が極めて短く、経験が浅い等の特段の事情のないかぎり、すべて右手続を熟知しており、したがって、もし販売員がキャッシャーまたはパッカー等のレジスター係員の検品、引合を受けないで商品を売り上げ、引き渡しを了し、または配送係に回付するなどするならば、レジスター係員と共謀するなどして右の正規の手続に根本的に反する処理によるのでなければ、現金販売の場合には売上代金の入金が拒否され、チケット販売の場合には御帳合伝票の完成が不能となり、いずれにしても販売手続上重大なそごを生ずることとなる。

以上の事実が認められ、かゝる事実からはさらに、前認定の販売手続は会計学上内部統制と称せられる会計組織の一端であって、右手続を確実に履践せしめることにより商品販売手続上の誤謬、不正の発生をでき得る限り防止し、かつその発見を容易ならしめる目的を有するものであることが容易に推認され、したがって、もしある販売員が右販売手続を全く無視し、これと根本的に反するような販売方法をとったことが判明したとするならば、当該販売員につきその無視、違反の態様に従い、窃盗、業務上横領等会社商品不正持出行為の強い嫌疑が生ずる結果となることは理の当然というべきである。

もっとも、≪証拠省略≫によれば、岩田屋内においても家具等のような重量、容積共に大で、包装紙による包装が殆んど不能な商品や日本酒、計量売りの菓子等個々の品毎に値札の付されていない商品は、その性質上おのずから前認定の販売手続とは幾分趣を異にする方法で販売されていることが認められ、≪証拠省略≫によれば、岩田屋従業員の一部の者が時には前認定の販売手続を厳守せず、不正行為をする意図なしに漫然と右手続のうち非本質的な一部に違反する処理をする場合のあることを認めうるが、右はなんら前認定の事実を左右するものとは考えられず、また前認定に反するかのごとき≪証拠省略≫は前認定の用に供した各証拠に比照して到底信用し難く、他に右認定に反する証拠はない。

四  井手喜久子の所為

≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実を認めることができる。

すなわち昭和三四年一二月一五日には岩田屋家庭用品課売場に設置されていたNo.84レジスターにはキャッシャーの米山瞳が配置されたが、同人の当日の勤務時間は午前一〇時から午後六時三〇分までであって、その間に午後零時二〇分から一時までおよび同四時三〇分から四時五〇分までの間は所定の休憩時間となっていたので、その間はパッカーの塚本某が同レジスター係として勤務した。

他方、井手喜久子は当時全岩労副執行委員長であった井手哲朗の妻であり、昭和二三年から岩田屋レジスター係として、ついで昭和三二年から家庭用品課販売員として勤務し、前項で認定した販売手続は熟知していた者で、また岩田屋のチケット購買客であった田中八郎の妻田中喜久とは夫井手哲朗の叔母に当る関係にあったが、右田中喜久は昭和三四年一二月一五日午後四時すぎごろ岩田屋家庭用品課売場に来店していた。

ところで、井手喜久子は同日午後唐津市在住の小宮某に重箱単価六〇〇円計五個を販売し、右小宮の依頼により、その配送手続をとることにしたが、前記認定のとおり、午後四時三〇分から四時五〇分までの間、レジスター係を勤めたパッカーの塚本に、重箱五個の値札を示して計三、〇〇〇円の現金入金手続を了したまま、重箱の包装処理の完了はせず、ガスこんろ、炭かご各一個、ざる二個をなんら正規の検品を受けず、またパッカーと連絡をとることもなく包装紙を用いて包装し(右各物品には包装後はいずれも値札が付されていなかったが、これは井手喜久子が勝手に剥離したものか、或はそれまでに自然に剥落したものかは明らかでない。)、これとは別に、大小の刺身皿各五個(合計一〇個)に付されてあった値札を勝手に剥離して、ちりかご中に棄て、前同様なんらの検品を受けず、連絡もしないまま、右刺身皿計一〇個を包装した。その間に前記キャッシャー米山の休憩時間は終了し、再びパッカーの塚本と交替して、レジスター係として勤務に入ることとなったので、塚本は井手喜久子が重箱五個計三、〇〇〇円を売り上げて入金済であり、包装処理手続が未済であるむね申し継いで事務引継ぎを了し、キャッシャー米山と交替したところ、米山が勤務についた直後、井手喜久子は前示刺身皿等の包を米山のもとに持参したので、米山は右包装の個数と形状から重箱でないことは容易に認識できるのに、交替直後のことでもあり、それが塚本から申し継ぎを受けていた井手喜久子の売上物件であろうと漫然と考えて、包装シール上に現金入金印を押捺し、かくして、全く正規の検品手続も販売処理手続もなされていない商品の包装に、あたかも正規の手続によって、現金で売り上げた物件であるかのごとき外観を顕出せしめ、右各包装物件につき特に急を要する必要はなんらなかったのに、家庭用品課売場の他のレジスター係員にも特別の連絡をとることなく配送伝票を作成して、田中八郎方への配送手続をとった。

ところで、井手喜久子はキャッシャー米山に前示各包装上に現金入金印を押捺せしめた後、更に前示五個の重箱の包装をキャッシャーの米山に提出し、シール上への入金印押印を求めたので、米山はここにはじめて最初の包装物の内容について疑念をもつにいたったが、パッカー塚本の申し継ぎ洩れの売上商品で、包装手続未完のものがあったものと考え、重箱包装のシールにも漫然と現金入金印を押捺し、井手喜久子は右重箱を顧客小宮の要望に従い配送手続に付した。

井手喜久子の右所為は前項で認定した正規の販売手続を全く無視するもので、これと根本的に相反するものであるから、同人はその所為につき不正行為の強い疑をかけられてもやむを得ないものと言うべきである。

≪証拠判断省略≫

五  井手喜久子に対する会社側の取調態度

≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実を認めることができる。

すなわち、前示井手喜久子については、昭和三四年一一月ごろから家庭用品課売場従業員の間で商品販売に関し不審な行動があるとの風評が立ち、同女が配送手続をした商品の代金入金が確認できない取引事例も発見されたので、同女の上司であった当時の家庭用品課長糸永清士は同課副長藤田某を通じ、それとなく井手喜久子の挙動に関し注意を払っていたところ、同年一二月一五日午後六時ごろ、同副長から井手喜久子が刺身皿一〇枚の値札をちりかごに棄て、正規の入金又はチケット販売の手続によらず、商品を配送係に回付したとの報告を受け、当時はまだ前項で認定したような詳細な事実の認識はなかったが、刺身皿につき、井手が商品不正持出行為を実行したのではないかとの強い疑惑を抱き、当日は井手喜久子はすでに退社していたので、翌一六日従業員の不正行為につき調査する職責をも有している会社保安課長柴田利平次とも連絡をとったうえ、一応糸永一人で井手喜久子から事情を聴取することとし、同日午前一〇時すぎごろ本館五階茶室に同女を呼び出して、刺身皿の点につきその行動を質したところ。同女は一五日は多忙にまぎれて手続を忘却したので、一六日に帳合伝票を作成するつもりであったむね弁解したので、これに対し糸永は前記認定のチケット販売手続上帳合伝票を作成することができず、また客があとで現金を持参したときにも、これを入金する方法がない旨述べて質問し、さらに、客と馴れ合いで不正行為をしたのではないかと申し向けたりして追及するうち、井手喜久子は質問に対して合理的弁解ができなくなり、二〇分ないし三〇分の後、商品の不正持出行為を自認するにいたったので、右事情を柴田に連絡して、同人を茶室に呼び、両名でこもごも更に詳しい事情を質し、同女を追及した結果、同女も終局的に刺身皿につき不正行為を認めるにいたったので、同日正午前ごろ、同女が会社商品の不正持出行為を自認する趣旨のメモを作成して読み聞かせたうえ、同女に署名捺印を求めたところ、同女もこれに応じたので、当日の調査を一応打ち切り、糸永は右メモを人事課小柳副長に手交し、かつ右調査の事実を上司である中牟田営業部次長に報告した。

右認定の調査、追及については、糸永は井手喜久子の直属の上司として、その行動を監督する職責を有していた者であり、柴田は会社内部での万引等、一般的犯罪と併せて従業員の不正行為を調査する職責を有する保安課長の立場にあったもので、藤田副長からの前記認定の報告内容のかぎりにおいても、井手の行為は、その性質上、犯罪行為ではないかとの強い疑を抱かれてもやむを得ないものであるうえ、同女自身がその行為について説得的な陳弁、説明をなんらしなかった点等に徴すれば、同女が真に商品の不正持出行為の故意を有していたかどうかは別として、客との馴れ合いで不正行為をしたのではないか等と申し向けて追及することも、特段に高声を発したり、または床を叩く等の強圧態度に出た事情の認められない本件では、ある程度やむを得ないところであって、糸永らの調査態度が不当であったとも考えられず、同人らが井手の自認に基づき同女が不正行為を実行したものと判断するに至ったとしても、右判断をもって不合理なものと断ずることはできないものと言うべきである。

≪証拠判断省略≫

六  原告三重野正明、同今泉英昭の暴行とその経緯に関する事情

≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実を認めることができる。

すなわち、井手喜久子は昭和三四年一二月一六日前記認定の糸永らの調査を受けて帰宅後、午後八時半ごろ退社して来た夫井手哲朗に対し、自己の所為は多忙にまぎれたための単なる帳合伝票の切り忘れにすぎなかったのに、これを糸永らに取り上げられ、茶室内で三時間ないし四時間にわたり監禁状態に置かれて、商品不正持出行為を自認する趣旨を記載したメモに署名、押印を強いられた旨説明して泣訴したので、哲朗はただちに全岩労組合事務所にその旨電話連絡し、かけつけた原告三重野正明、訴外森山繁夫および原告三重野栄子の三名にほぼ同旨の説明をしたところ、原告三重野正明はすでに認定したとおり、全岩労加入の組合員数が急速に減少の一途をたどり、しかもその原因が一に会社の全岩労の切崩行為にあると考えていた折柄、糸永らの調査、取調は会社が全岩労副執行委員長井手哲朗の妻の喜久子を会社商品不正持出の犯罪行為者に仕立てあげ、右捏造した事実を全岩労に対する中傷宣伝のために悪用し、頽勢にある全岩労を愈々強く弾圧し切り崩す意図に出たものと判断し、翌一七日朝執行委員会を開催して協議の結果、井手喜久子本人につき特別に詳細な客観的に納得のゆく事実説明を求め、あるいは家庭用品課売場関係者らにつき、休憩時間等を利用して井手喜久子の行動につき調査してみる等の冷静な事実調査の方法はなんらとることなく、したがって、同女が前示のとおり刺身皿の正札を勝手に剥離して、ちりかごに棄てた等の事実については明確な認識も有しないまま、同女が夫哲朗に対してしたと同旨の漠然たる陳弁が真相に合致するものであると速断し、糸永、柴田の調査態度を追及したうえ、会社の不当な行為に対し抗議することを決定し、同日岩田屋開店後午前一〇時二〇分すぎごろ、原告三重野正明、訴外井手哲朗、原告三重野栄子ほか一、二名が五階家庭用品課売場に赴き、糸永に面談を求めたところ、糸永は原告三重野正明らの来意は井手喜久子調査問題に関するものと感得したので、売場で応答することは不適当と考え、原告三重野らをうながし、ともども五階南側に位置する面積約二坪の事務室に赴いたところ、その後間もなく十数名の全岩労組合員が入室してきて、糸永と問答中、同人が井手喜久子に対し客と馴れ合いで不正をしたのではないかと追及した点に論が及ぶや、原告三重野正明以下全員が激昂した態度を示し、こもごも無実の者を罪に落すかなどと鋭く詰問し、糸永が用便に行きたいと申し出るや、原告三重野栄子はその場にあった灰皿をとってその中に用を足すよう申しむけたり、また中には糸永の顔にたばこの煙を直接にふきかけたり、糸永がたばこを吸いかけるや、これを取りあげて床に投げ棄てる者もあり、同日午前一一時半ごろまでの間糸永の調査態度が部下を罪人扱いにしたものであるとして、激しくその非を難じたが(但し、右事務室内に原告今泉が在室していたことについてはなんらの証拠もない。)、そのころ、原告三重野正明が前示茶室で、きのうのこと(井手喜久子に対する調査のこと)をも一度してみろと言い出し、糸永は全岩労組合員に着衣のすそを掴まれた状態で前示茶室に連行され、その途次ではこれが職員を泥棒にした課長だなどと大声を発して叫ぶ者もある有様であったが、同茶室には原告三重野正明、同今泉、前示井手哲朗、原告三重野栄子その他全岩労組員ら十数名が来室し、糸永の膝を打ち、頭部を小突き、両脚を後方に引張って床上に引き倒し、床の間に押しつける等の暴行も数回に亘って行われると言う状態のもとで、前同様糸永の弁疎に耳を傾ける態度は全く示さず、その調査態度を激しく批難し、人権を蹂躪するものであるなどとの抗議行動が続けられたが、その間に、同日正午過ぎごろ急報を受けた会社取締役秦俊則(当時人事課長)が急拠糸永の救出に茶室に赴くや、茶室に在室していた全岩労組合員らは糸永を救出して退室しようとする右秦に対しても、その足を引っ張る等の暴行を加えて退室を妨げたが、

1  その際、原告今泉は、秦の来室に力を得て退室しようとして立ち上がりかけた糸永の肩付近を二回に亘って押さえる等の暴行を加えて、その退去を妨害した。

かようにするうち、糸永は極度の精神的緊張と前示暴行のため相当に疲労して虚脱状態に近くなり、右高度の疲労が外形的にも判然認められる状態となってきたため、秦は退室のためにはやむを得ないと考え、井手喜久子調査の経緯につき、それまでの原告三重野正明と糸永との問答要旨を略記し、同原告らの主張をやや認めるかのような趣旨の確認書を記載して、糸永の姓名を記名し、その名下に糸永に捺印をさせて、これを同原告に交付し、同日午後二時ごろ糸永とともに茶室から退室した。

ところが、同日午後三時ごろ、秦俊則が会社別館五階事務室に在室していた際、原告三重野正明、訴外井手哲朗および地区労事務局次長清竹某が入室して来て、井手喜久子問題につき全岩労として話をしたいむねの来意を告げたので、秦はそれなら労務課の窓口を通して来てほしいと一応拒否したが、原告三重野正明らが寸時で足りるむね述べるので、やむなく右事務室に隣接する人事部応接室に右三名を招き入れたところ、同室には奥村十七(当時常務取締役、人事部長)が在室しており、またすでに全岩労組合員らが二〇名前後在室していて、井手喜久子の所為にはなんら不正の点はないむね申し述べ、事実の詳細な調査をする必要があるから、現段階では返答はできないむね主張する秦らと、際限もなく同趣旨の問答を繰り返すうち、同日午後五時半過ぎごろ、糸永とともに井手喜久子の調査に当った前示柴田利平次が入室して来るや、

2  原告三重野正明は柴田の左腕を掴んで同室内に引っ張り込み、その肩付近を押さえて、同原告の隣にあった椅子に着席させ、右手拳で柴田の肩、首筋付近を数回殴打する等の暴行を加え、同所にあった机の上にあがって遅参を謝罪せよなどと強く要求した。

その後、同室内の全岩労組合員はこもごも前同様井手喜久子の所為に不正はなかったこと、伝票を作成する前に商品を顧客に交付し、または配送手続に付することは顧客に対するサービスとして岩田屋内ではしばしば当然のこととして行われていると述べ、柴田の調査態度がきわめて不当であったことを難じて同人を責め、さらに奥村に対して井手喜久子が署名押印した前示メモの返還をしつように求め(もっとも、このときには原告三重野正明は特に目立つ発言はしていなかったと認められる。)、全岩労組合員らの主張する伝票取扱方法が納得できないとする奥村と対立していたが、同日午後一〇時ごろになるや、同室にいた全岩労組合員森山繁夫は「部長、聞きよるとな。」など申しつつ、奥村の左耳を捻じあげて顔をゆさぶり、原告今泉が机下から奥村の脚を蹴り、その他にも同人の右耳を引っ張り、背部を小突く等の暴行を加える者も出てきたが、そのころ遂に最も争点となっていた伝票の処理方法につき、その責任者である黒田商品管理課長に事情を尋ねて見ることに話がまとまり、一時休憩をとることとなり、同日午後一〇時すぎごろ奥村、秦とともに別館三階に降り、同所にいた会社労務課長竹下熊夫に対し、黒田を呼ぶよう指示した。なお右柴田も奥村らとともに前示人事部応接室から退室し三階に降りようとしたが、全岩労組合員らに妨害されやむなく人事部応接室に留った。

しかるに、奥村十七の真意は、全岩労組合員らの伝票の処理方法に関する主張の真偽を確かめるため、みずから黒田に質問するつもりであったのに、前示人事部応接室内の興奮した雰囲気内での説明の表現が正確を欠き、全岩労組合員側としては奥村が黒田を呼んで、原告三重野正明、同今泉、前記井手哲朗、原告三重野栄子ら多数の全岩労組合員らの前で、黒田に伝票の扱い方についての説明をさせ、同労組員らが質問をすることも当然に認めたものと理解したため、右理解の喰い違いを原因として再び紛争と暴行事件が発生するにいたった。

すなわち、黒田が奥村十七の指示にもかかわらず、同月一八日午前零時ごろにいたっても出頭しないように思われたので、前示人事部応接室で待機していた全岩労組合員らは奥村に事情の説明を求め、奥村もこれに応じて、再び五階人事部応接室に赴き、黒田がいまだ出頭しない旨説明したが、その際、更に黒田は同室に待機している全岩労組合員らの前に呼び出して、伝票処理方法を説明させるために呼んだのではなく、奥村が黒田から事情を聴取し、組合員らの主張中納得のゆかない部分の説明を求め、真偽を確めるために呼んだにすぎないむね説明するや、森山繁夫が「とぼけるな。」などと申し向けつつ奥村の耳を捻じあげ、更には、やかんの水小量を頭部に注ぎかけ、原告熊谷高信(当時全岩労執行委員)は奥村の背中を小突き、さらには同労組員中には奥村が腰をあげた隙に、その椅子を引き除き、はずみで同人に尻もちをつかせる等の暴行を加える者まで現れたが、同月一八日午前一時ごろ、奥村は交渉の場を別館三階庶務課応接室に移し、前記清竹に事態の収拾方を依頼し、全岩労組合員側は清竹が原告三重野正明および同三重野栄子と相談のうえ、なおも前記井手喜久子のメモの返還を求めて交渉中、同日午前三時前ごろ全岩労組合員の内に黒田が三階に来ていると述べたものがあり、原告三重野正明、同今泉、同三重野栄子、森山繁夫その他の全岩労組合員らは、会社にすでに出頭、在社していた黒田を隠匿していたものと判断して憤激し、同階にある第一応接室への通路にも当っている庶務課受付前付近にいた会社労務課副長大塩栄(現在社長室付課長)の胸を原告今泉が指で突いて後方に押しつつ、黒田呼出しの指示を奥村から受けた竹下熊夫を呼び出すよう要求し、右大塩が紛争をさけるためやむなしと考え、庶務課から通じている第一応接室内部に向って竹下の名を呼んだところ、右第一応接室に隣接し、これとドアによって通じている社長室内に待機していた竹下が自己の名を呼ばれたのに気づき、第一応接室に出てその庶務課に通ずるドアを開けるや、前示十数名の全岩労組合員は原告三重野栄子ついで原告今泉を先頭に同応接室内に乱入し、十二、三名の全岩労組合員は竹下を取り囲み、同所にあった椅子上に腰を下ろさせ、森山繁夫が「顔をあげろ井手(哲朗のこと)の方を向け。」などと申し向けつつ竹下の耳を引っ張り、あごを突き、土下座して謝れなどと要求し、井手哲朗も竹下の肩を小突き、さらには居合わせた応援労組員の一名は竹下のネクタイを掴んで首を締めあげ、その間、全岩労組合員らが社長室内にまで乱入するのを防止しようとして、第一応接室内の社長室に通ずるドアの前に移動して来ていた前示大塩栄のところには、原告今泉ほか一名が赴いて、

3  原告今泉は右大塩の襟元を掴んで社長室に通ずるドアに同人の身体を押しとばしたうえ、首付近を引っ張って前に引き出し、社長室ドアを開けるよう要求し、他一名が原告今泉に呼応して大塩の腕を引き下げて、同所にあったソファの上に尻もちをつかせたところ、原告今泉は再び大塩の首付近を掴えて引き立て、折柄、そこに来合わせた中原章二郎および古賀廉三らとともにしつように社長室ドアを開扉するよう要求し、原告今泉は右大塩の靴先を蹴ったりしていたが、終には同人の向脛の下付近を約三回蹴とばす暴行を加えたうえ、蹴られれたくなかったら社長室ドアを開扉せよと要求し、そのころ前示秦が騒ぎを心配して社長室ドアを内側から開けて顔を出すや、原告今泉は「お前はここにおれ。」などと申し向けつつ右大塩の胸付近を約三回突く等の暴行を加え、よって、右大塩の左下腿部に約七日間の治療を必要とする打撲症兼挫傷を負わせた。

その間、前認定の第一応接室内での暴行事件の発生を知った奥村がこれを阻止しようとするや、森山繁夫および原告芳井伸明(いずれも全岩労執行委員)からネクタイを引っ張られ、あるいは床に押し倒される等の暴行を受け、また前示のとおり社長室ドアを内側から開けて第一応接室に出て来た秦俊則も全岩労組合員らに襟首を掴まれて身体をゆさぶられ、付近にあった椅子上に押し坐らせられ、左足を蹴られたうえ、更に襟首を掴まれて引き立てられる等の暴行を受けたが、そのころ、中牟田営業部次長が現場に到着し、全岩労組合員らの暴行もそのころようやく終りを告げ、その後は更に、全岩労組合員らと奥村らが話し合いを続け、秦は奥村と計った結果、井手喜久子の署名押印のある前示メモを原告三重野正明に返還したが、同原告らはその返還を受けるや、更に進んで会社側は全岩労組合員に謝罪状を交付せよと要求をした。

原告三重野正明、同今泉は前認定の茶室における糸永に対する詰問の場から、第一応接室における暴行の時点、およびその後の交渉に至るまで、常に交渉、紛争、暴行の場に現在しており、従って当然右一連の事実の全経緯を認識し、これを容認しつつ前示1ないし3の各暴行の所為に及んだものであることが推認される。

なお原告今泉の懲戒解雇理由のうち、同原告が昭和三四年一二月一八日午前零時ごろ奥村部長に対して直接暴行を加えたとの事実、および同日午前三時ごろ第一応接室で直接竹下課長に暴行を加えたとの事実についてはこれを認めるに足りる証拠がない。

≪証拠判断省略≫

七  本件懲戒解雇の時期について、

≪証拠省略≫をあわせ考えると、会社側では前六、で認定した事態の推移に徴し、全岩労側には井手喜久子問題について先入観念を棄て、感情から離れ、客観的に事実を調査しようとする意思が全くなく、したがって会社が私的な立場から事実を調査しようとしても、到底全岩労組側の協力、納得を得る見込みはないと考え、このうえは、真相の糾明を官憲の捜査、および司法的手続に委ねるにしくはないと判断し、井手喜久子の商品不正持出行為、原告三重野正明、同今泉および前示森山繁夫その他五名の暴行の所為を福岡地方検察庁に告訴し、同人らの懲戒については慎重を期するため、第一審判決の言渡をまって後に一緒にすることに決したところ、原告三重野正明、同今泉および右森山については昭和三九年九月二一日、福岡地方裁判所でいずれも懲役三月に処する旨の判決(但し、いずれも一年間の執行猶予)の言渡があり、会社はその他五名の暴行行為者については昭和三七年八月六日、井手喜久子については同三七年七月三日、福岡地方検察庁からそれぞれ嫌疑は十分であるが起訴猶予を相当と認めた旨の通知を受けたので、右判決言渡後の昭和三九年一一月二四日有罪判決を受けた原告三重野正明ら三名を懲戒解雇に付したものであって、前認定の暴行事件の発生日から五年に近い日時を経過したのは、右認定のとおり、一に処分の慎重を期するため、刑事第一審判決の言渡をまち、なおその前後にわたり数回の懲戒委員会の議を経たためと認められ(る。)≪証拠判断省略≫

八  六で認定した一連の行為は全体として暴力的性質を強く帯有しており、全岩労の正当な組合活動と目する余地は全くなく、右事情の下で実行された原告三重野正明の六、2の所為、同今泉の六の1および3の各所為が前認定の会社就業規則第八二条第二号前段に該当することは多言を要しないところで、本件予備的懲戒解雇は、原告三重野正明、同今泉が平素適法な組合活動を活溌にしていることを決定的原因としてなされたものである旨の同原告らの主張に沿う証拠は、≪証拠省略≫のほかにはないので、到底右主張事実を認めることはできず、また前認定の暴行の各所為をその事情とともに総合考慮すれば、右原告らの所為に対し前示就業規則第八二条但書を適用しなければ著しく苛酷な結果となる等の特段の事情も認められず、したがって、会社が懲戒権を濫用したものとも認められないから、前示予備的懲戒解雇は有効であり、右原告らは右予備的懲戒解雇の意思表示がなされた昭和三九年一一月二四日の翌日から会社に対する雇用契約上の権利を失ったものであり、したがって右原告らの同月二五日以降の賃金債権はいずれも発生するに由ないものである(被告が右原告らの同年一二月分以降の賃金の支給を停止したことは弁論の全趣旨に照して明らかである。)。

第三  以上のとおりだとすると、原告三重野正明、同三重野栄子、同芳井伸明、同熊谷高信、同牛尾洋一、同今泉英昭は本件ストによる懲戒解雇処分がなかったならば、その後も従前どおり被告百貨店の従業員として勤務したものと推認されるから、同原告らは被告に対し右懲戒解雇の通告がなされた日の翌日たる昭和三三年一〇月五日以降も(原告三重野正明、同今泉英昭は予備的懲戒解雇の意思表示のなされた昭和三九年一一月二四日まで)賃金請求権を有するものというべきところ、右原告らが被告から受けるべき賃金額はこれを年度別に集計すると別表第二の一ないし六の未払賃金表中「受領すべき額」欄記載のとおりであり、そのうち被告がすでに支払った額は、同表中「受領額」欄記載のとおりであるから、被告の未払分は同表中「未受領額」欄記載のとおりであること、そして、その弁済期は、同表中の「年度」欄に対応する「未受領額」欄記載の金員ごとに遅くとも当該年度の二月二五日(ただし、原告三重野栄子、同芳井伸明、同熊谷高信、同牛尾洋一の昭和四八年度分については、同年一一月二五日)には到来していることはいずれも当事者間に争いがないから、被告は原告らに対し主文第二項掲記のとおり賃金および損害金の支払義務あるものといわねばならない。

よって、原告三重野栄子、同芳井伸明、同熊谷高信、同牛尾洋一の各請求はすべて理由があるからこれを認容すべきであり、また原告三重野正明、同今泉英昭の請求は主文第二項の限度で正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきであり、その余の原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民訴法第九二条、第九三条第一項、第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鍬守正一 裁判官 宇佐見隆男 裁判官 大石一宣)

<以下省略>

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